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ビアク島 戦没者慰霊巡拝 pulau biak

ビアク島 戦没者慰霊巡拝旅行のオリジナル手配をご案内しております

ビアク島、戦没者慰霊巡拝
当社ではインドネシア,ビアク島於ける英霊御霊の慰霊巡拝・戦没者慰霊ツアー手配をお一人様から承っております。ビアク島へはとてもアクセスが不便で遠い島ですが、様々なプランニングをご用意・ご提供が出来ます。

オリジナルだからこそ、他にないプランをご提供する事が可能です。ご予算に合わせてホテルランクを調節したり、食事条件等も事前に承るなど、より快適な御案内を行うことが可能です。

【ビアク島 概要】

ビアク島は東西は約90キロ、南北は約40キロ。ビアク島の面積は3.130k㎡で鳥取県より少し小さいくらい、人口は11万人。南緯1度の赤道直下に位置し、全島が熱帯雨林に覆われ、地形は石灰岩質で広く平坦な飛行場適地を有し、日本軍は1943年以降ビアク島に「モクメル飛行場」の設営を進めていた。

このビアク島を絶対国防圏の一角に指定、この守備に第2方面軍及び第2軍をあてた。西部ニューギニアへは12月に第36師団が進出し、うちビアク島には歩兵第222連隊を基幹とするビアク支隊が分派された。

ビアク支隊は海岸線の後方に東西2つの巨大な鍾乳洞を発見し、西洞窟にビアク島の司令部を定めた。ビアク島を絶対国防圏の最前線と位置づけ、陸海軍約1万2000の兵力を配して飛行場群の整備を進めた。海軍の敗退により食糧弾薬の補給は途絶え、米軍は立て篭もる洞窟にガソリン入りのドラム缶を投げ込み、火炎放射器で焼いた。

守備隊はその後もビアク島の中南部で尚抵抗を続け、敵地に潜入し食糧を奪ったりして持久をはかった。後に「北のアッツ島、南のビアク島」と言われる程の悲惨さであった。
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【ビアク島インフォメーション】

ビアク島、小学校、椅子・机寄贈大館南ロータリークラブ代表の方々(代表:日本遺族会常務理事・秋田県遺族連合会会長 仲沢誠也様)が、慰霊碑巡拝と共に、地元小学校へ机、椅子等を寄贈に際したお手配を行いました。子供達も学校、村も大変喜ばれたそうです。とても心温まる手配でした。この模様が新聞に掲載されました。こちらへ
モルメク第一飛行場、ビアク島 ボスニック海岸入口、ビアク島 title= ボスニック海岸、ビアク島 西洞窟、ビアク島
【左から】◆モクメル第一飛行場:日本軍が上陸して作り上げたビアク島の飛行場。全長4km ◆ボスニック海岸入り口:今やスッカリ,ビアク島民の海水浴場、休日は家族づれに大人気。 ◆ボスニック海岸ビーチ:日本軍はこのビーチに上陸。ビアクの悲劇はここから始まった。 ◆西洞窟正面:西洞窟施設全体の入口。ひらがなで「ようこそ」と書かれている。
西洞窟慰霊碑、ビアク島 西洞窟、ビアク島 ビアク空港 ビアク島ホテル
【左から】◆場内の慰霊碑:西洞窟へ向う途中にある戦没者慰霊碑。「日本国政府昭和31年健之」 ◆西洞窟:実物はかなり広い。ここで多くの日本軍が命を落とす。 ◆ビアク島空港:その昔、国際線乗入も検討された空港だけあって意外に綺麗。◆アエロテルホテル:敷地内中程に慰霊碑があり「永遠の平和を永遠の友情を」とある ◆
ビアク島中心地 第二次世界大戦慰霊碑、ビアク島 第二次世界大戦慰霊碑内側、ビアク島 第二次世界大戦慰霊碑管理人、ビアク島
【左から】◆ビアク市内のメインストリート:交通渋滞もなく、速度を飛ばす車両も少ない。 ◆第二次世界大戦慰霊碑:日本政府が作った立派なビアク島戦没者慰霊モニュメント。 ◆碑の中:中には幾つかの墓碑があり、所縁ある地方(県・市)から個人迄の献花がある。 ◆碑の管理人:この碑を守ってくれている近隣のスタッフ。掃除もまめ行っているそうだ。
オフィス、ビアク島 スタッフ、ビアク島 子供達、ビアク島 魚市場正面、ビアク島
【左から】◆オフィス:戦没者慰霊巡拝の手配を幾多も手掛ける。英語ガイドのみだが案内は心意気! ◆スタッフ:ガイドのジェフタは真面目だがチョットせっかち、一方ドライバーのガドッはおっとりした名コンビ ◆子供達:魚市場に隣接する水上集落の子供達。以外に積極的で剽軽だ。 ◆魚市場:正面ゲート、市民の台所
西洞窟1、ビアク島 西洞窟2、ビアク島 西洞窟博物館、ビアク島 魚市場内、ビアク島
【左から】◆西洞窟1 ◆西洞窟2 ◆西洞窟博物館展示物 ◆魚市場
水上集落1、ビアク島 水上集落2、ビアク島 水上集落3、ビアク島 ビアク島ベモ
【左から】◆魚市場裏手の水上家屋 ◆水上家屋の子供 ◆水上家屋の奥地にある養殖場 ◆地元のベモ
第二次大戦慰霊碑1、ビアク島 第二次大戦慰霊碑2、ビアク島 第二次大戦慰霊碑3、ビアク島 ビアク島慰霊碑1
【左から】◆第二次大戦慰霊碑1 ◆第二次大戦慰霊碑2 ◆第二次大戦慰霊碑3 ◆ビアク島慰霊碑

≪ビアク島の戦い≫

ビアク島はニューギニア北西部ヘルビング湾(現在のセンデラワシ湾)湾内の最大の島。東西約90キロ、南北約40キロ。南緯1度の赤道直下に位置し、ビアク島全島が熱帯雨林に覆われている。地形は石灰岩質で、広く平坦な飛行場適地を有し、日本軍から見ればフィリピンから東部ニューギニアの最前線へ至る飛行経路上の、連合軍から見ればパラオとフィリピン南部とを爆撃圏に収める要衝であった。日本軍は1943年以降ビアク島に「モクメル飛行場」の設営を進めていた。

1943年9月、日本軍はビアク島を含む豪北方面(インドネシア東部)を絶対国防圏の一角に指定し、この地域の守備に第2方面軍(方面軍司令官:阿南惟幾中将)及び第2軍(軍司令官:豊島房太郎中将)をあてた。西部ニューギニアへは12月に第36師団(師団長:田上八郎中将)が進出し、うちビアク島には歩兵第222連隊を基幹とするビアク支隊(支隊長:葛目直幸大佐)が分派された。ビアク支隊は海岸線の後方に東西2つの巨大な鍾乳洞を発見し、西洞窟に司令部を定めた。

日本軍はさらに北支から第35師団(師団長:池田浚吉中将)をビアク島へ転用し、玉突きでビアク支隊をニューギニア本島へ合流させる計画を立てていた。しかし1944年4月、第35師団の輸送作戦である「竹輸送」は潜水艦攻撃を受けて手痛い打撃を被り、ビアク島には到達できなかった。

アメリカ軍の上陸までに日本軍がビアク島へ配備できた兵力は陸軍10,400名、海軍1,947名を数えたが、その過半は飛行場設営隊や海上輸送隊、開拓勤務隊など後方勤務部隊が占め、戦闘部隊は歩兵第222連隊を中心に、海軍陸戦隊を加えても4,500名に過ぎなかった。

その頃ダグラス・マッカーサー大将の率いる南西太平洋方面連合軍は、西部ニューギニアを経てフィリピンへ向かう反攻作戦を推し進めていた。マッカーサー軍は4月22日にニューギニア島北部のホーランジア(現在のジャヤプラ)へ、5月17日にサルミへ上陸し、次の照準をビアク島に定めた。6月中旬にチェスター・ニミッツ大将指揮下の部隊のサイパン進攻が予定されており、マッカーサー軍には、それまでにビアク島の飛行場を確保してニミッツ軍を支援するよう期待がかかっていた。アメリカ軍は占領したホーランジアの飛行場を拠点に4月28日以降ビアク島に対して連日の空襲を加えた。

日本軍では、ホーランジア失陥により、大本営陸軍部が絶対国防圏をニューギニア島西端のソロンまで引き下げる方針を決定した。だが阿南方面軍司令官はこの措置を不満とし、大本営海軍部の構想に乗ってビアク島を死守する方針を持っていた。海軍の構想とは、アメリカ太平洋艦隊主力をパラオ近海へ誘い込み、機動部隊と基地航空隊によって撃破するという「あ号作戦」である。大本営陸軍部も結局阿南中将の方針を追認することになる。

海軍の作戦は、アメリカ軍がビアク島へ進攻してくれば、海上機動第2旅団(旅団長:玉田美郎少将)を増援に送り込む「渾作戦」を実施して決戦場に仕立て上げ、アメリカ軍主力を誘引するというものであった。5月25日、連日の激しい空襲の中、第2方面軍参謀長沼田多稼蔵中将がビアク島を訪れ、この作戦について葛目大佐らと打ち合わせた。27日早朝、沼田中将の乗機がビアク島から離陸しようとしたそのとき、連合軍の大船団が沖合いに現れた


【渾作戦 (こんさくせん)】

米軍上陸後、守備隊との間で激しい攻防戦が始まりましたが、ビアク島を失うと日本側は西南太平洋と南部フィリピンの制空権を失うことを意味します。なんとか完全占領を防ごうと陸海軍ともに援軍を派遣することとしました。陸軍側は2個大隊を大発動艇によって輸送しましたが、時期と上陸場所がうまくいかず、結局失敗に終る。海軍側は艦隊の護衛のもと、駆逐艦で強襲上陸を仕掛けることとなりました。
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