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ジョグジャカルタ王宮keraton yogyakarta

ジョグジャカルタ王宮 ハメンクブワナT

ハメンクブワナT世 HamengkubuwanaT

ハメンクブワナT HamengkubuwanaT(1717.8.6-1792.3.24)
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットW(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。(ジョグジャカルタ市のジョグジャカルタ王宮のページへ)

【ハメンクブワンT系図】

独占欲が半端でない野心家。ハメンクブワナT世がいなければ中部ジャワの王宮は「マタラム王国」1つだったかもしれない。ハメンクブワナTの父はブラウィジャヤX(13-16世紀東ジャワを収めたマジャパヒト王国)血筋のアマンクラットW。母は側室だが同血筋を持つマス アユ テジャワティ。しかしマス アユ テジャワティの系譜ははっきりしていない。

ブラウィジャヤX⇒パンゲラン パングン(Pangeran Panggung)⇒パンゲラン アラス(Pangeran Alas)⇒トゥムンガン プラミラン(Tumenggung Peramilan)⇒キヤイ チブカカック(Kyai Cibukakak)⇒キヤイ ルソユダ(Kyai Resoyuda)⇒ンガベヒ ホンドロック(Ngabehi Hondorok)⇒マス アユ テジャワティ⇒ハメンクブワナTと言われている。

1740.10.9バタビア(現ジャカルタ)にて華僑の反乱攻撃が起こる。その後VOCにより沈静化、その始まりは欧州人がバタビアの町に増える華僑に対しての疑惑。10/9欧州人が華僑家宅捜索の命令を下す。怯え叫ぶ華僑市民の一部市民が抵抗。華僑市民(除く女性・子供)に虐殺が始まってしまう。病院の入院患者や牢獄収監者に至る迄。

パクブワナU(マンクブミの兄)はその華僑反乱軍を支援するがVOCの攻勢を目の当たりにし、考えを変える。1742年、カルタスラ王宮は反乱軍に攻撃され、パクブワナUはやむなく新しい王宮をスラカルタに建立。反乱軍はVOCとチャクラニングラットW(西マドゥラの指導者。VOCの保護下にありマタラム王国と政治対峙する立場)に鎮圧されるが、ラデン マス サイド(パクブワナUとマンクブミの甥)率いる反乱軍の残りはスコワティ地を奪取。

パクブワナUは奪われたスコワティ(Sukowati)を奪い戻す公募(土地の懸賞)を人々に公表。1746年マンクブミはマス サイドを追い払うもパクブワナUが扇動したバティ プリンガラヤに懸賞を取消する様に妨げられる。状況を更に混乱させるVOC総督が来てVOCに対する王宮の債務返済として海岸地区をVOCへ賃貸するようにパクブワナUへ迫る。この件をマンクブミは反対し戦となる。1746年5月、恨みを抱いたマンクブミはスラカルタを去り甥のマス サイドと反政府勢力として合流、組織を束ねるとして娘(ララ インテン 別称グスティ ラトゥ ベンドロ)とマス サイドを政略結婚させる。

【3世継承戦争】
1747年、歴史家からは「3世継承戦争」と呼ばれる。マンクブミ(13000の勢力)とVOCが支援するパクブワナUに対する戦争。デマックやグロボガンの地にてマンクブミは一戦闘づつ勝利していく。1749年終わり、パクブワナUは死ぬ程の重態を受ける。12/11パクブワナUはスラカルタ保護の為、主権をVOCへ引き渡す。12/12その間、マンクブミは自身をパクブワナVと襲名。一方VOCは12/15パクブワナUの息子をパクブワナVと継承させる。この様に二人のパクブワナVが現れる。パクブワナUはススフナン スラカルタと呼ばれ、マンクブミはマタラム地域のクバナラン村に本部を設けていた為ススフナン クバナランと呼称。1751年ボゴウォント川で戦闘再発マンクブミはVOC部隊を破壊。

【権力地の分割】
1752年マンクブミはラデン マス サイドと意見対立が起こる。マタラムの単一覇権を焦点とした対立だ。ジャワ有識者間の意見とではラデン マス サイドを支持、マタラム著名者達では圧倒的にマンクブミの支持。マンクブミはジャワ有識者とラデン マス サイドが謁見中に武力を行使して潰そうとしたが、これを失敗。ジャワ有識者による支持があり武装勢力も強いラデン マス サイドはマンクブミを更に追打ちをかけ完全敗北させる。マンクブミは完敗後VOCの仲裁によりパクブワナVと一緒に謁見し、ラデン マス サイドと合併合意する。

1754年マンクブミの合併申入れは最終的にはVOCが了承。1754年9月マンクブミはVOC側代表(ジャワ島の北海岸地域の知事)と直接会い交渉が合意に達しマンクブミはパクブワナVの王室領地半分を入手。そしてマンクブミはVOCの海岸地域の賃貸を許可。1755年2月13日ギヤンティ条約に調印。マンクブミはスルタン ハメンクブワナTと承認される。このギヤンティ条約はマンクブミがパクブウォノVとVOCとが同盟し、ラデン マス サイドの反乱軍消滅の為の新しい条約でもある。

この合併の当初の目的はマンクブミ・VOC・パク ブワナVがマタラムをスラカルタとヨグヤカルタになる分配合意。この覇権には疑問視される。何故、マンクブミはマタラム王宮を分けたか、娘婿でもあるラデン マス サイド(マタラムの単一主権の覇権提唱)と意見対立したか、、、、いずれにしろVOCはマタラムの分割でVOCの所在維持が一定になると言う利益を得る。

【ジョグジャカルタの建設】
ギャンティ条約以来マタラム王国は2つに分けられ、パクブワナVはスラカルタで安定した王室政権、マンクブミは称号をスルタン ハメンクブワナTと改めジョグジャカルタを収める。

1755年、ハメンクブワナTはフタン パブリンガンを王国の首都として切り開く。以前は、その森はかつて「ンガヨグヤ(Ngayogya)」の名称でスラカルタ(Surakarta)からイモギリ(王宮の墓地)迄遺体を運ぶ公員宿泊の休憩所であった。なので名称を「Ngayogyakarta Hadiningrat」とし、略して「Yogyakarta」とした。1756.10.7ハメンクブワナTはクバナラン(Kebanaran)からジョグジャカルタへ移る。時代の流れと共にYogyakartaの名は王国の首都として浸透していく。

【スラカルタ征服へ】
ハメンクブワナTは和平条約を交わしたのに古代スルタンアグンの完全復活を目指す。スラカルタのパクブワナVは指導者としては弱いがVOCの支援を受けている。ハメンクブワナTはマタラム復活統一の理想を具現化する意向はあるも実現は難しいと判断且つ、力のあるマンクネガラTは統一を良く思っていない。

1788年、パクブワナWが父親パクブワナVよりスラカルタを継承、パクブワナWはハメンクブワナTと同等に主権を有する王位となる。パクブワナWは自身の為のマタラム完全復帰を望むようになる。政治の中で、パクブアナWはジョグジャカルタを蔑ろにし、ジョグジャカルタ王権を王子が継承する事を認めない事からハメンクブワナTとの緊張関係になるVOCから戻した財政あるので戦争再開が出来るパクブワナWにVOCは苛立。

パクブワナWは「マンクブミ」の称号をジョグジャカルタから取り上げようと対決姿勢を踏み出す。ギャンティ条約ではジョグジャカルタの継承問題は恒久的に規約されていないからだ。これは王国の責任問題との考えからスラカルタが主権であるとの理解からだ。このパクブワナWの態度にはVOCは又条約以前の荒廃したジャワに戻ってしま事を危惧と怒りでハメンクブワナT・マンクヌガラTとでパクブワナWを降伏させる。

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【主な登場人物】

パクブワナ2世 PakubuwanaU
パクブワナ2世、初代スラカルタ王、ジャワ島、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットWの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。【スラカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
ハメンクブワナT HamengkubuwanaT
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットW(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。【ジョグジャカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
マンクヌガラTMangkunegaraT
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナUとマンクブミ(ハメンクブワンT)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットW。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワンTの婿でもある。【マンクヌガラアン王宮ページ】 【王宮WEB】
パクアラム Paku Alam
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナTと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナTが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムTの孫で1857年より継承するパクアラム3世]【パクアラマン王宮ページ】 【王宮WEB】
取巻く人々
マタラム王国取巻く人々、ジャワ島、インドネシア王室の内外には敵味方がわんさといた当時のマタラム王国、様々な人々の助けもあるが、大概は互いに政治利用するものだった。【取巻く人々のページ】

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