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マンクヌガラン王宮kerton mangkunegaran

マンクヌガラン王宮 マンクヌガラT

マンクヌガラアン王宮、ジャワ島、インドネシア

マンクヌガラT世 MangkunugaraT

マンクヌガラTMangkunegaraT(1725.4.7-1795.12.28)
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナUとマンクブミ(ハメンクブワナT)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットW。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワナTの婿でもある。 又、パクブワナVの娘も妻なのでパクブワナVの婿でもある。マンクネガラン王宮を設立。(スラカルタ市のマンクヌガラ王宮のページへ) マンクネガラン王宮設立、国民的英雄指定。VOCからは死を恐れない強者と評価されてる。

あだ名をPangeran Sambernyawa。マス サイドの最初の戦はRaden Mas Garendi(Sunan Kuning)をリーダーとする1742.6.30の華僑反乱軍と共に戦ったのが始まりとされる。高さ4mものカルタスラ王宮の要塞壁を物ともせず侵攻、当時のマタラム王パクブワナUはPonorogoへ敗走。その時マス サイド19歳。この戦はマタラム市民と華僑人々の平等と正義、品位と尊厳を求めるものであった。華僑軍がカルタスラを取り囲んで以来、民族たちはカルタスラを離れ始めてしまう。

マス サイドは北スラカルタ側Randulawang地に守りを作る。VOCへ抵抗の為にスナンクニン軍と合流し戦争司令官を任命されRaden Ayu Kusuma patahatiと結婚。マンクブミはスマランへ敗走後マンクヌガラと合流。ジョグジャカルタでVOCゲリラ戦抵抗マンクヌガラこの時22歳。

2番目の妻(Raden Ayu Inten:マンクブミの娘)と結婚。それ以降、マスサイドはPangeran Adipati Mangkunegara Senopati Panoto Baris Lelono Adikaren Notoとやたら長い名称にする。この名は父親(スリランカへ流刑にされたアルヤ マンクヌガラ、マスサイドはこの時2歳)Pangeran Arya Mangkunegara kartasuraから得る。父親の流刑はアマンクラットWへ抵抗(Patih danurejaの卑劣な誹謗・中傷とVOC保護下の理由)した為とされる。恐らくその理由によりマスサイドは拠点を移動しながらVOCとマタラムにゲリラ戦で死闘する。ジョグジャカルタ所在時にパクブワナU死去のニュースが入る。

マスサイドはマンクブミに謁見し、義父(マンクブミ)がマタラム王になる事を進言。マンクブミはマタラムの覇権をとるKanjeng Susuhunan Pakubuwan Senopati Ngaloka Abdurrahman Sayidin Panotogomoの名称として。この即位と共にマスサイドは首相に、同時に戦争司令官着任。妻のRaden Ayu Inten(マンクブミの娘)は名をKanjeng Ratu Bandoroと改める。即位式でマスサイドは声高に義父マンクブミのジョグジャカルタのマタラム王即位表明。オランダはこれを認めない。

マタラム・VOCと9年戦った後、紛争そのものへマンクブミとマスサイドは意見対立になる。パクブワナU死去から始めた紛争に、王は主権をオランダへ引渡したからだ。パクブワナUの皇太子Pangeran Adipati AnomがパクブワナVとしてVOCによりマタラム王に即位。

マスサイドはド16年間マタラムとVOCと闘う。1741-1742VOCに対する華僑軍のリーダーとして、その後1743-1752マンクブミと合流しマタラムと対VOC9年間。1755.2.13ギャンティ条約時・オランダの政治工作でスラカルタとジョグジャカルタへの分割はマタラム市民の分割を意味しているとし大反対していた。この条約に怒りでパクブワナV・裏切ったハメンクブワナT・VOCと闘う1752-1757。戦闘の数にして250回。

1752-1757に3つの激しい闘いが起こる。戦闘的な力を構築することが出来た戦争司令官マスサイド。その頃からマンクネガラにPangeran Sambernyawaのニックネームが付けられる。敵からは「死を拡散させる」の表現。マスサイドの凄まじい戦略は味方が賞賛するだけでなく、敵からも一目置かれる。その時の手捌きはVOCジャワの長官もマスサイドを「この戦士は若い時から戦争と困難に慣れていおり永きにわたる野戦で戦闘スキルを会得している。」と称賛。

1:
1752,マスサイド軍はKasatriyan村、PonorogoでのハメンクブワナT軍を攻撃。Madiun,Magetan,Ponorogo地を支配した後Kasatriyan村はマスサイドの防壁要塞となる。スルタンの大軍に対して小隊のマスサイド軍が敵を撤退させる。自軍の死者3名に対し敵側の死者は600名

2:
1756、Sitakepyakで勃発。この戦でマスサイドは敵将を刈り左手を戦利品として女房へ渡す。

3:
この件がVOC軍混乱の引金となりVOCは村人の財産略奪や放火しながらマスサイドを追走。マスサイドは激怒し、再度VOCとマタラムを攻撃。更に敵将の首をはね密かにVOC要塞へ近づく、攻撃されたVOCの5隊は全滅し数百がジョグジャカルタ王宮へ敗走。マスサイド軍は攻撃の手を緩めずジョグジャカルタ王宮を追撃し夜明けには退散させた。この侵攻にジョグジャカルタ王宮ハメンクブアナTの怒りを買う。500レアルと首領地位の懸賞首を掛けるが失敗。VOCもマスサイド殺害に1,000レアルの賞金首をかける。


【サラティガ条約1757.3.17】
VOCはスマランに於いて誰もがマスサイドに手を焼いているのを見て、パクブワナVにマスサイドと和平交渉の席に着く事を求める。パクブワナVは使節を派遣、マスサイドはVOCを抜く事を条件に交渉を応じ兵士120名を従えてパクブワナVとスラカルタ王宮で会談。パクブワナVはマスサイドの兵士に物流援助資金提供。サラティガ条約に於いてパクブワナVと和平する。

パクブワナVはTunggon村にてマスサイドを迎える。マスサイドの支配地を定める為、そして名称をマスサイドからマンクヌガラTに改称するもマンクヌガラの法的な立ち位置はVOCより権力を借りており格差をつけた「小さい王」とされた事に気付き自身を中部ジャワの「第三の王」と表明しVOCもそのように扱う。マンクヌガラはやっと、マンクヌガラは王宮をPepe川縁に設立(現在のマンクヌガラン王宮)しKedaung,Matesih,Honggobayan,Sembuyang,Gunung Kidul,北部Pajan,Kedu地区を支配する。

【女性戦士】
マンクヌガラは初めて女性を戦争に参加させたとされている。144の女性軍人がおり、銃撃隊・騎馬隊・完全武装隊に分かれていたパクブワナVへの反乱時に於いてもマンクヌガラは女性補佐官を設け戦争を記録。

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【主な登場人物】

パクブワナ2世 PakubuwanaU
パクブワナ2世、初代スラカルタ王、ジャワ島、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットWの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。【スラカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
ハメンクブワナT HamengkubuwanaT
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットW(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。【ジョグジャカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
マンクヌガラTMangkunegaraT
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナUとマンクブミ(ハメンクブワンT)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットW。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワンTの婿でもある。【マンクヌガラアン王宮ページ】 【王宮WEB】
パクアラム Paku Alam
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナTと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナTが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムTの孫で1857年より継承するパクアラム3世]【パクアラマン王宮ページ】 【王宮WEB】
取巻く人々
マタラム王国取巻く人々、ジャワ島、インドネシア王室の内外には敵味方がわんさといた当時のマタラム王国、様々な人々の助けもあるが、大概は互いに政治利用するものだった。【取巻く人々のページ】

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