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パクアラマン王宮kerton paku alaman

パクアラマン王宮 パクアラム

パクアラマン王宮、ジャワ島、インドネシア

パクアラム Paku Alam

パクアラム Paku Alam(1764-??)
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナTと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナTが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムTの孫で1857年より継承するパクアラム3世]
【玉座への長い道のり】
パクアラマン王宮設立の初代王(ジョグジャカルタ市のパクアラマン王宮のページへ)
若い頃から政界で活躍。1780年頃にはジョグジャカルタのスルタンで上級職員の役職を受ける。後のハメンクブワナU Pangeran Adipati Anomとは関わりが深い。ハメンクブワナUの時世、スラカルタ高官がPatih DannureiaU(国務の役人・後のPaku AlamU)とVan Braamが王宮を放火したとの陰謀が発生。

パクアラムとPatih DanureiaU(Paku AlamU)に意見の相違。ハメンクブワナUとPangeran adipati Anom(後のハメンクブワナV)との間も不調和スルタンはDanurejaU(Paku AlamUの野望を阻止する為、DanurejaUの称号をRT Natadiningrat(後のPaku AlamU)に昇格させ、ほぼ全ての国政を任せる。

DanurejaUはマウンディン市首長R.Ranggaの反乱画策を引出すもDanurejaUと父親パクアラムは反乱を裏で指揮する容疑に引込まれる。オランダ・フランス提督Herman Willem Daendelsは、DanurejaUの宮殿役人任務を解任。更には、DaendelsはハメンクブワナUにNatakusuma(パクアラムT)とNatadiningrat(パクアラムU)をスマランへ引渡しを要求。

NatakusumaとNatadiningratはスマランへ、同地で捕虜。その後、彼らに暗殺の計画が浮上。捕虜2名はTegalとCirebonへ運ばれ、そしてチレボンからバタヴィアへ。同じ頃オランダ・フランスの7000軍勢が、息子をハメンクブワナVを王位に就けるとしてハメンクブワナUの王位を強引に退陣させる交渉。

バタヴィアでも予期せぬ事態、Daendels解任。新後任は状況復旧に努める、前任Daendelsのミス修復。NatakusumaとNatadiningratは犯罪者捕虜として扱わない。とは言え、両名は依然としてジョグジャカルタへ戻る事は許されていない。大英帝国政府軍ジャワ海域へ入り始めるニュースが入る。BPH NatakusumaとRT Natadiningratはボゴールでオランダ・フランス軍へ引渡される。

大英帝国はバタヴィアとジャティヌガラにてオランダ・フランス軍を破りボゴールへ進軍。ジョグジャカルタ2名貴族は居をスマラン・スラバヤへ移す。スラバヤでNatakusumaは大英帝国と謁見。大英帝国政府は追放事件に興味を持ち調査を行った後、両者はオランダ・フランス政府の狡猾陰謀犠牲者とみなす。そして、イギリスはBPH Natakusumaが反イギリスのハメンクブワナUを南下させる適任であると。

その後ジャワ長官にスマランで滞在を求められる。スマランでBPH Natakusuaは歓迎を受ける。両者は信用してくれた事をイギリスに感謝。イギリスはNatakusumaが王位に戻したイギリスに反抗するSultan Sepuh(ハメンクブワナU)との仲介者になる事を希望する。Soedrisman Poerwokoesoemo(故人1947-1966ジャカルタ市長)の記録では、1811-1812Natakusumaは少なくとも2つの役割が存在したという。

1つ目はBPH Natakusumaはジョグジャカルタへ戻った後、来訪意図の説明。スルタンは英国提案表明を受取。と言われている。スルタンはLetnan Jenderal Thomas Stamford Raffleslがジョグジャカルタ来訪を歓迎し、提案(王位をAdipati Anomへ引渡、恩赦、代償行為により行われたDanurejaUの殺人事件のそして謝罪要求)を受取る。

2つ目は、オランダ・フランスからイギリスへ権力を引渡しあ後、直ぐにハメンクブワナUは息子から玉座を返還。スルタンも幾つかイギリス政府へ提案・要求する。支払戻金、オランダが搾取した海岸地区の損害による補償、先祖の墓の引渡、そしてBPH NatakusumaとRT Natadiningratの引渡。その見返りにスラウタン武器解除を求められるなど、イギリスの介入を許してします。スルタンは焦りSultan Surakaraと交渉する。

スルタンは公然とイギリスn要求する王宮での兵士部隊と守備精力の解散を拒絶。 nataksumaとTan Djien Singらはイギリスにスルタンの計画を教える。そして1812年6月中旬admiral Gillespieが完全装備の兵士とジョグジャカルタへ訪れる。他にLegiun Pangeran Prangwadaana(Mangkunegaran)も派遣された。Gillespieは直ちにAdipati Anom(HamengkubuwanaU)とBPH Natakusuma(Paku AlamT)に玉座引渡を実現する為に最後通牒をスルタンへ送る。が、スルタンは応えたくない。

表記の一つには1812.6.18王宮は大砲を浴びせ始められ3日間の包囲と閃光攻撃された後1812.6.20屈服する。他の表記では1812.6.20意見を持つ王宮は攻撃を受け始め、1812.6.28完全にイギリス権力。Sultan Sepuhも又2回目の罷免、ハメンクブワナVが再びSultan Yogyakartaとして王位に就く。とm、言われている。

【パクアラムの玉座】
1812.6.29Natkusumaは大英帝国よりGusti Pangeran Adipati Paku Alamとして任命される。この任命はイギリス政府への功績に基づくとして。1813.3.17の政治条約を通じてNatakusumaは公式的にイギリス政府傘下のPangeran merdika. Pangeran Adipati Paku Alamとして。そしてパクアラムはイギリス政府への忠誠心の報酬として土地、手当、騎兵隊、税金の回収権利そして継承権王位が与えられた。

支配地はクマントレン(kemantren)を含むジョグジャカルタ(現パクラマン市)とクロンプロゴ県南のアディカルト。パクアラムを待っていた業務は自身の地域を世話する傍らハメンクブワナWの後見を任命(1814-1820年)。後見人任務には限界があった。GK Ratu Ageng(ハメンクブワナ家の娘でパクブワナYの女房でパクブワナWの母親)とGK Ratu kencana(パクブワナVの女房・パクブワナWの母親)、スルタンの母と祖母、且つPatih Kasultananを共有しなければならないからだ。ハメンクブワナW幼児期に後見人から身を引く

1822.3.7オランダより公式にPangeran Adipatiの称号を与えられたが、結局は40年以上、公国の支配者達を支えただけであった。又、1825-1830ジャワ戦争に於いて消極的な立場を取っていた。16年間政務後、崩御。ジョグジャカルタのコタクデに眠る。

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【主な登場人物】

パクブワナ2世 PakubuwanaU
パクブワナ2世、初代スラカルタ王、ジャワ島、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットWの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。【スラカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
ハメンクブワナT HamengkubuwanaT
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットW(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。【ジョグジャカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
マンクヌガラTMangkunegaraT
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナUとマンクブミ(ハメンクブワンT)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットW。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワンTの婿でもある。【マンクヌガラアン王宮ページ】 【王宮WEB】
パクアラム Paku Alam
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナTと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナTが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムTの孫で1857年より継承するパクアラム3世]【パクアラマン王宮ページ】 【王宮WEB】
取巻く人々
マタラム王国取巻く人々、ジャワ島、インドネシア王室の内外には敵味方がわんさといた当時のマタラム王国、様々な人々の助けもあるが、大概は互いに政治利用するものだった。【取巻く人々のページ】

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