本文へスキップ

株式会社ティーエーエムインターナショナルは、インドネシア、東ティモール専門旅行会社です。

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.03-3866-8500

〒101-0032 東京都千代田区岩本町1-13-3 ユニコムビル

マタラム王国の顛末keraton jawa

中部ジャワ王宮 その光と影

マタラム王国の顛末、中部ジャワ王宮その光と影

【ジョグジャカルタ王宮とスラカルタ王宮の歴史、その光と影】

【マタラム王国の顛末 中部ジャワ王宮の移り変わり、そして背景】
備考:オランダ東印度会社(Vereenigde Oostindische Compagnie)を以下「VOC」と表記。各人の文章は各人側視点の物によりますので内容や表現が多少矛盾している事があります。
マタラム王国は16-17世紀にジャワ島で繁栄したイスラム王国。
時代は「マタラム」のブランドと権力を巡りVOC・血族間の仁義なき戦いに、、本家スラカルタ王位は初代が15歳で、2代目は17歳で継承の脆弱政治、取巻きの家老やVOCの操り人形だ。

一方の分家ジョグジャカルタ王ハメンクブワナT(マンクブミ)は側室の子である事で系譜では王位になれない、政治力・軍事力・野心を総動員して玉座を狙う。

第三局のマンクヌガラン(マスサイド)は父親がマタラム王国継承の筆頭であったが宮廷の陰謀により父親を失脚させた恨みをパクブワナUへ持っており、且つ、ハメンクブワナTとは反乱騒動で裏切られたり意見対立をする等で敵対する事も、、一族の血みどろな骨肉争いとVOC主権介入によって栄光あるマタラム王国は歴史からその姿を消滅し、王国地は分散・再分散てしまうのだ。

それが現在のスラカルタ(ソロ)王宮・ジョグジャカルタ王宮・マンクヌガラン王宮・パクアラマン王宮である。今ではどの王宮も平穏の様相を呈しているが、そこには幾多繰り返された権力抗争による結末の宮殿である。

【序章】

アマンクラット4世、マタラム王国継承者アマンクラットW AmangkuratW(不明〜1726.4.20)
パクブワナT世と側室の間に生まれる。父親の戦死によりアマンクラット4世としてジャワ島で16-17世紀に栄えたマタラム王国を継承しカルタスラにて新たなカルタスラ王国(1680-1742)を建設した初代王。

子供達が後にマタラムを消失、分裂した王家を作るスラカルタ王宮設立のパンクブワナU・ジョグジャカルタ王宮設立のハメンクブワナT(マンクブミ)・アルヤマンクネガラ(息子がマンクヌガラン王宮設立のマンクヌガラT)達である。
カルタスラ王国跡地、中部ジャワ、インドネシアカルタスラ王国は 現在大部分が住宅で若干煉瓦の壁が残っており僅かにその痕跡を残している。場所は現在のカルタスラ市場の南側。アマンクラット4世は世を去る時に次の時代を息子のパクブワナ2世へ託す。パクブワナ2世はこの時15歳。しかしこの継承にはVOC主導介入があったようで周囲がもろ手挙げての満場一致とはならなかったようだ。この継承問題が後に中部ジャワ王室分裂の根源と言われる。中部ジャワ王室のルーツはココが起源。なのでここが現在のスラカルタ(ソロ)及びジョグジャカルタ王宮の始祖と言って良いだろう。

【主な登場人物】

パクブワナ2世 PakubuwanaU
パクブワナ2世、初代スラカルタ王、ジャワ島、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットWの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。【スラカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
ハメンクブワナT HamengkubuwanaT
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットW(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。【ジョグジャカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
マンクヌガラTMangkunegaraT
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナUとマンクブミ(ハメンクブワンT)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットW。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワンTの婿でもある。【マンクヌガラアン王宮ページ】 【王宮WEB】
パクアラム Paku Alam
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナTと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナTが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムTの孫で1857年より継承するパクアラム3世]【パクアラマン王宮ページ】 【王宮WEB】
取巻く人々
マタラム王国取巻く人々、ジャワ島、インドネシア王室の内外には敵味方がわんさといた当時のマタラム王国、様々な人々の助けもあるが、大概は互いに政治利用するものだった。【取巻く人々のページ】

【年表】

1680
アマンクラットWがマタラム王国を継承しカルタスラ王国を設立
17??
アマンクラットWと側室間にアルヤ マンクネガラ(ラデン マス サイド=マンクヌガラTの父)誕生
1711/12/8
アマンクラットWと王妃の間にパクブブワナU(後のスラカルタ初代王)が生まれる
1717/8/6
アマンクラットWと側室間にマンクブミ(後のハメンクブワナTでジョグジャカルタ初代王)誕生
1725/4/7
ラデン マス サイド(後のマンクヌガラT)誕生
 1726/4/20
カルタスラ王国開祖であるアマンクラットW逝去
 1726/8/15
パクブワナUが15歳でカルタスラ王位を継承(VOC介入)
1728
長兄アルヤ マンクネガラパクブワナUとVOCの画策でり流刑。息子ラデン マス サイドは2歳
1740/10/9
Geger Pacian騒動 華僑市民(反乱軍)はVOCを攻撃(これにはマス サイドも参戦)
1741/11
パクブワナU2万軍勢を反乱軍援護、チャクラニンラットWVOCへ加勢形勢逆転。反乱軍後退
1742/3
VOC代表Baron von HohendorffとパクブワナUがカルタスラで和平条約
1742/6/30
上記和平条約に反乱軍激怒。12歳のRaden Mas Garendi(又の名をスナン クニン)を新たな王「アマンクラットX」として擁立し、カルタスラ・スコワティ地を攻撃・奪取(マスサイド参戦)。パクブワナUとHohendorffはポノロゴ地へ敗走。
1742/12
チャクラニンラットWがカルタスラを奪うも。VOCはパクブワナUを許す。
1743/10
スナン クニン捕まる。
1743/11
パクブワナUカルタスラ戻るもVOCより大きな負担を要求される
1745
スラカルタ(ソロ)へ移動し新王宮設立(現スラカルタ王宮)
1745/2
チャクラニンラットW力を増しVOCへ反乱敗戦、バンジャルマシンへ敗走、捕獲、流刑
1746
パクブワナUが公示した領地取戻し(スコワティ地懸賞)レースにマンクブミが獲得。マンクブミパクブワナU側より邪魔され懸賞得られず。
1746/5
マンクブミVOCと領地賃借で揉めマスサイドと合流。娘とマスサイドを結婚させる
1747
パクブアナVの継承を巡ってマンクブミVSパクブワナU&VOCの戦争が始まる。
1749/12/11
パクブワナU病になり王宮の主権をVOCへ引渡す。パクブワナU逝去、息子のパクブワナVへ王位継承。マスサイドマンクブミにマタラム王覇権を進言。が、主権VOC拒否。
1749/12/12
マンクブミは自ら「パクブワナV」襲名披露する。
1749/12/15
VOCはパクブワナUの息子をパクブワナVと継承する。
1751
マンクブミ隊はボゴウォント側でVOC部隊を撃破
1752
マンクブミマスサイド対立し戦争へ。マンクブミ完敗後VOC仲裁でマスサイドと合併合意
1754
マンクブミはVOCとの仲裁でパクブワナVの領地半分入手
1755/2/13
マンクブミパクブワナVの間でギャンティ条約調印。スラカルタとジョグジャカルタの2王宮になる。マンクブミはスルタン ハメンクブワナTと改めジョグジャカルタを収める。マスサイドはこの分裂を大反対し、パクブワナVハメンクブワナTと闘う。この頃よりマスサイドマンクヌガラTと改める
1756
VOCはマンクヌガラTを王宮を設立し3番目の王として扱う。
1757/3/17
サラティガ条約 VOCはマンクヌガラTパクブワナVが揉めない様和平条約された。
1788
パクブワナWパクブワナVよりスラカルタ王位継承し、マタラム復帰による単独王を画策
1790
ハメンクブワナTマンクヌガラTが手を結びスラカルタを包囲する。
1813/3/17
パクアラムTは政治条約を通じて公式的にイギリス政府傘下のパクアラマン王宮となる。
マタラム王宮系譜、相関図、ジャワ、インドネシア

エージェント様からのオリジナル現地手配、コーディネート承っております。本気のインドネシアお届け致します。
ティーエーエム TOPページへ

「事件 事柄」

【Geger Pacian(1740.10.9)】
Ceger Pacianジャワ島、インドネシアカルタスラ陥落の原因となる事件。この事件の引金は当時のバタビア(後に全ジャワに広がる)に増える華僑市民に対し、様々な疑惑や嫌疑がありVOC総督のAdriaan Valckenierの許可により家宅捜索を行う。怯え叫ぶ華僑市民の一部が抵抗した為、虐殺へと発展。女性や子供を除いたものの病院の入院患者や牢獄収監者に迄に至った。その後はVOCにより沈静化。しかし反VOCの支援により華僑市民軍はVOCを攻撃しカルタスラを奪い、パクブワナUをスラカルタへ追出す(パクブワナUが形勢逆転を目の当たりにし裏切る)。

その後、VOCとチャクラニンラットWの攻撃でカルタスラを奪われる。そして残党軍は幼いスナンクニン(アマンクラットVの孫)をマタラム王と擁立しスコワティ地を奪うもマンクブミにあっさい奪われ、この件は終わる。この件に於いて各人の行動は、、、

【パクブワナU】
1741.11難を逃れた華僑市民はVOCへ攻撃展開。パクブワナUは2万の軍勢を華僑反乱軍へ支援(vs VOC)し、スマランのVOCを取り囲む。先の7月には在カルタスラVOCも鎮圧している。しかし、形勢逆転で後悔。その後はVOCの操り人形。

【マンクブミ】
パクブワナU側の立場なのでパクブワナUと行動を共にする。スコワティ地の奪還に尽力するも身内の政敵やVOCに妨害されなかなか思うようにならない。

【マスサイド】
スナンクニンを大将とした華僑反乱軍参戦が初陣とされている。この時戦争司令官の役職を得る。本陣に構えたスコワティ地をマンクブミに奪われる。

【チャクラニンラットW】
元来VOCへの依存が強く、且つ自身の縄張りを広げるためVOCとは仲良し、妻が先代の娘・現王の妹であろうとマタラム王国の腐った政権が嫌いなので本件はあくまでVOC側で対応。
【ギヤンティ条約】
ギャンティ条約、ジャワ島、インドネシアギヤンティ条約はVOC,マタラム側(パクブワナV),マンクブミグループ間で合意した条約。マスサイドグループはこの条例から外される。「ギャンティ」の名称由来はこの条例を締結した場所、中部ジャワ・カランガニャール東南ギヤンティ村(現在のDukuh Kerten, Desa Jantiharjo)から。この条約に基づき、マタラムの地を2つに分ける。スラカルタにてマタラム王位の継承者(パクブワナV)による支配地Kali Opak(現プランバナンを越えた所)東側を分けられたマタラム領地、西側の地(本来のマタラム地)をマンクブミへ引渡された。同時にマンクブミは名称をハメンクブワナTと改称そしてジョグジャカルタを所在地とした。この条約はマンクブミが自己利益からの裏切り行為から端を発している。主権VOC側はパクブワナUを元々支援(都合よく動かせる王)していた事でマタラムの正統継承者としている。

VOCとしては、この流れが一番利益を得れるからであろう。その継承に待ったをかけたのがマンクブミ。この継承問題を解決する為と、武力・支援力があるマスサイドへ対しての3者(VOC・ハメンクブワナV・マンクブミ)の同盟ともいえる。この条約でマタラム王国が事実上分割する。マンクブミはパクブワナVの支配地半分とスルタン称号及びマタラム王国伝来遺品半分を得る事に。
【サラティガ条約】
サラティガ条約、ジャワ島、インドネシアPerjanjian Salatiga(1757.3.17) サラティガ条約は歴史的にも意味を持つ条約。この条約で一連のマタラム王国争奪紛争勃発に終止符を打つ。この条約はラデン マス サイド・スナンパクブワナV・VOC・スルタンハメンクブワナTとの間でVOC本部(現在のサラティガ市庁舎)にて交わされた。ギヤンティ条約当時マンクブミは本条約・ハメンクブワナTを介して和平交渉の見返りにマタラム支配地半分を得る。ラデンマスサイドはまだ抵抗をしている。VOCはマンクブミを自陣営へ引込に成功し、マスサイドの抵抗は対マンクブミ・パクブワナV・VOCとなる。

マスサイドは3者へ降伏したくない。VOCがマスサイドへスラカルタ・ジョグジャカルタの一つへ降伏の忠告するもマスサイドは更に3者へマタラムが3つに支配分裂にならるよう圧力を加える。3つの合同チームはまだマスサイドを負かす力がなくマスサイド側も又、合同チームを負かす力がない。

そこでこのジャワでの抗争を解決策としてサラティガ条約を催行、ハメンクブワナTとパクブワナVは幾つもの支配地をマスサイドへ差出さねばならぬかと気が重い。ジョグジャカルタのNgawenとスラカルタの一部がマスサイドの支配になる。条約はマスサイド・スラカルタ・ジョグジャカルタ・VOCで調印しマスサイドはマンクネガラTとなり、スラカルタの半分(現在のWonogiriとKaranganyar)とジョグジャカルタの一部がマンクネガラン公国となる。
マタラム王国歴史探訪順路、ジャワ島、インドネシアなので一連の王宮騒動を巡る基本ルートは次が下記が基本となります。
【1:カルタスラ王国の跡地(スラカルタ西約10Km)】⇒【2:スラカルタ王宮(スラカルタ・ソロ)】⇒【3:ギャンティ条約の地(スラカルタ東約15Km)】⇒【4:ジョグジャカルタ王宮(ジョグジャカルタ)】⇒【5:サラティガ条約の地(スラカルタ北西50Km)】⇒【6:マンクネガラアン王宮(スラカルタ)】⇒【7:パクアラム王宮(ジョグジャカルタ)】
しかしながら、王宮のみを訪れる場合はスラカルタ(ソロ)・ジョグジャカルタを行ったり来たりになりますので手間を省いて下記ルートがになるでしょうか??  
ヒストリーは多少前後しますが、、、、
【2:スラカルタ王宮(スラカルタ・ソロ)】⇒【6:マンクネガラアン王宮(スラカルタ)】⇒【4:ジョグジャカルタ王宮(ジョグジャカルタ)】⇒【7:パクアラム王宮(ジョグジャカルタ)】
この度は弊社マタラム王国系譜ページへご来店頂きまして誠にありがとうございます。弊社では様々なオリジナルの中部ジャワ現地手配・お手伝いをさせて頂いております。きっとご希望に添えるプランをご提供出来ることをお約束致します。お気軽にメール・ファックス・お電話にてお問合せ下さい。
バリ島ビーチツアーからパプアの辺境地迄、お一人様から完全オリジナルツアーをプランニング致します。
スマトラのサバン島から西パプアのメラウケ迄、インドネシア戦没者慰霊巡拝ツアーをオリジナルでプランニング致します。
日本発ガルーダインドネシア航空、インドネシア国内線各社航空券取り扱っております。
東ジャワ州、イジェン山、魅惑のブルーファイアツアー お一人様から
ビーチツアーから文化、伝統、慰問、表敬、祭礼ツアー迄、バリ島手配はお任せ下さい。
未開の地、魅惑の国 東ティモールの現地手配はお任せ下さい。
バリ島を経由して以遠へ、や、途中バリ島で立寄るプランに持って来いのプランです。
株式会社ティーエーエムインターナショナル ≪マイティーツアー≫
東京都千代田区岩本町1-13-3 ユニコムビル3F
TEL:03-3866-8500  FAX:03-3866-3070

mail:tam@mx4.ttcn.ne.jp
 会社案内

shop info.店舗情報

株式会社ティーエーエムインターナショナル

〒101-0032
東京都千代田区岩本町1-13-3 ユニコムビル
TEL.03-3866-8500
FAX.03-3866-3070