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ヌサトゥンガラ諸島 nusa tenggara

ヌサトゥンガラ諸島旅行のオリジナル手配をご案内しております

ヌサトゥンガラ諸島、オリジナル
当社ではヌサトゥンガラ諸島の様々なオリジナル旅行、ツアーお手配をご案内しております。日本発着のヌサトゥンガラ諸島への国際線航空券をはじめ、インドネシア国内線航空券、現地ツアー手配。西はスンバワ島から東はティモール島迄全ヌサトゥンガラ諸島地域をご案内致しております。

ヌサトゥンガラ諸島及び周辺辺境地の戦没者慰霊巡拝もご案内が可能です。日本人スタッフを含む現地スタッフも万全の体制で、全力投球でお客様のご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るインドネシア・ヌサトゥンガラ諸島を是非体感して下さい。
■【ヌサトゥンガラ諸島・Kepulauan Nusa Tenggara】
ヌサトゥンガラ諸島、地図地理学上は「小スンダ列島」といわれる。(バリ島・マルク諸島の一部も含まれるが本編では割愛)ティモール島の東半分が東ティモール共和国。【西ヌサトゥンガラ】Nusa Tenggara Barat 略してNTB、ロンボク島・スンバワ島他 州都はロンボク島のマタラム。【東ヌサトンガラ】Nusa Tenggara Timur 略してNTT、スンバ島・フローレス島・コモド島・リンチャ島・ティモール島他 州都はティモール島のクパン

【ヌサトゥンガラ諸島地区の主な町】
アタンブアアロール島エンデクパンサブ島スンバワブサールタンボラカバジャワバリ島ビママウメレラブハンバジョララントゥカルトゥンレウォレバロテ島ロンボク島ワインガプコモド島
ヌサトゥンガラ諸島の過去手配行程はこちらをご参照下さい

【ヌサトゥンガラ インフォメーション 1】

【東ヌサトゥンガラ】
インドネシア独立当初、現在3つの州(バリ州・西ヌサトゥンガラ州・東ヌサトゥンガラ州)から成り立っておりシンガラジャを首都とした小スンダ州地区であった。州独立後、東ヌサトゥンガラはインドネシア南東地区に位置するインドネシアの一つの州になる。

東ヌサトゥンガラ州はフローレス島・スンバ島・ティモール島・アロール島・レンバタ島・ロテ島・サブ島・アドナラ島・ソラール島・コモド島・プラレ島等の幾つかの島々から成り立っており首都はティモール島西部の町クパンに置かれた。

東ヌサトゥンガラ州は約550の島々から成り立っており、主な島はフローレス島・スンバ島・ティモール島。ティモール島の東側は以前27番目の州であったが、2002年インドネシより解放独立し「東ティモール」として新たな国家になった。
【東ヌサトゥンガラのシンボル・象徴】
東ヌサトゥンガラのシンボルは5角形で盾を形成しており市民と建国五原則を護る意味を象徴している。盾の中には星・コモドドラゴン・稲・綿・槍・ベンジャミンゴムが描かれている。星は偉大な至上の神を象徴し、コモドドラゴンは唯一先史時代よい存続する爬虫類、この巨大な古代動物は世界で保護されなければならない爬虫類である。

何故なら東ヌサトゥンガラ州コモド島にのみ生息しているからだ。世界からはコモドドラゴンを観賞する為に多くの観光客がコモド島へ訪れる。稲と綿は繁栄の象徴。槍は偉大と栄光を象徴。ベンジャミンゴムは定まった管理の統一を象徴している。
【人口・経済】
東ヌサトゥンガラ州の人口は4,683,827名(2010年現在)。人口密度は1平方キロに96名。人口の20%は都市部、80%が村落に居住しており東ヌサトゥンガラ大多数の住民がクリスチャンを信仰。カトリック約54%・プロテスタント約34%・イスラム約9%・ヒンドゥー約0.1%・仏教約0.01%・その他約1.7%

東ヌサトゥンガラはマルクとイリアンジャヤでの宗教紛争から遠ざける為にインドネシアに於けるクリスチャン信仰の人々の避難所になる。ユネスコの2003年調べでは中等教育の就学率は39%とインドネシア平均80.49%を遥かに下回る。

衛生施設や飲料水の不十分等で32%の子供が栄養失調になり、乳児は1000名に対し71名が死亡、他の州より大きく上回る。東ヌサトゥンガラの経済はインドネシア平均より遥かに低くインフレ率15%・失業率は30%
【観光】
[コモド島・リンチャ島]
コモドドラゴンを保護棲息している島でユネスコの世界遺産にも登録されている。
[クリムトゥ]
3つの異なる色の湖地区、トレッキングを兼ねて訪れるプランが人気のスポット
[ムティス山]
東クパンに位置し東ヌサトゥンガラ最高峰2427m。登山とバードウォッチングに人気
[ラセマナサンタ]
ラントゥカで行われるキリスト教世界に於いて、最もよく知られた伝統行事の一つ。イエス・キリストの受難、死、復活栄光の祝い。
[パソラ]スンバ島で開催される乗馬で闘争する祭礼又、スンバには伝統家屋も人気の一つ
[ダイビング]ダイバーに人気のアロール島ダイビング
[ササンドゥ]ロテ島に伝わる伝統楽器
[捕鯨]レンバタ島では今でも先人達から引き継いだ伝統捕鯨法で生計を立てている
[リウン島]17もの自然公園を持つ島
【諸島】
西ヌサトゥンガラ同様に東ヌサトゥンガラは3つの主な島はフローレス島・スンバ島・ティモール島が主な中心の州である。

東ヌサトゥンガラ地域その他の島は次の通り。Adonara, Alor, Babi, Besar, Bidadari, Dana, Komodo, Rinca, Lembata,Lomblen, Loren, Ndao, Palue, Pamana, Pamana Besar, Pantar, Rusa, Raijua, Rote (インドネシア最南端の島), Sawu, Semau dan Solor.
【スンバワ島・Pulau Sumbawa】
小スンダ列島に属し波上の卓状地からなる島。ロンボク島とフローレス島の間に位置し、西ヌサ・トゥンガラ州に属する。面積は岩手県程の15,448k㎡。
人口は仙台市程の100万人。

スンバワ島は東西に細長く島の西部にはスンバワ語を話すスンバワ人が、東部にはビマ語を話すビマ人が住んでおりそれぞれ異なった歴史と文化を持っている。スンバワ語はロンボク島のササク語と関係が深い。スンバワ人とビマ人は主にイスラム教信仰。

火山が多く北部のサンガル半島の中央部に聳えるタンボラ山(2850m)は1815年に9万人以上の犠牲者を出す有史以来最大級の噴火を起こし4000mあった標高が沈降し現在の高さになった。北海岸は複雑な湾入を示しており、米、トウモロコシ、綿、煙草、白檀などを産出し馬の産地としても有名。主要都市は西部のスンバワベサールと東部のビマ。

【ヌサトゥンガラ諸島 主な町、施設 一例】

 【エンデ Ende】
スカルノ流刑地、エンデフローレス島エンデは、18世紀末に存在した王国の領地。その後オランダへの反逆が起こり、ワツアとマリロンガの戦いと言われている。1934年初代インドネシア大統領スカルノが1938年迄流刑されたのがこのエンデである。ブンカルノ美術館は流刑にされたスカルノの旧居(写真)。スカルノは滞在中に、トメル クリムトゥ劇団と共に幾つかの劇を書いた。エンデのサッカー場近くにパンの木があり、その下でスカルノは政治的な思考を巡らせた。それは、パンチャシラ(インドネシア建国の5原則)として現在でもインドネシアの哲学として生き続けている。パンチャシラはここで生まれたのでパンチャシラ誕生記念碑がある。 [エンデのページへ]
【ビマ Bima】
ビマ、スンバワ島ビマ県は1640年7月4日、時のスルタン アブドゥル カヒールをイスラム法行政を行う基本政策としてビマ王宮1世としての即位が起源。後、毎年ビマ記念日として定める。古くから居住している幾つかの集落で古代の石に記述が記載されている。インドネシア住民の文化歴史では古代マレーシア族・新マレーシア族の分割からとされており又、南スラゥエシ・ジャワ・マドゥラ・カリマンタン・東ヌサトゥンガラ・マルクからの移住した起源を持つ者もいる。ビマ王宮は昔そぞぞれの指導者の5つの小グループに割れていた。5つの組織は隣同士互いに尊敬し合いながら暮らしていた、後に5つを統一し後のビマ王宮となる。 [ビマのページへ]
【フローレス島 Pulau Flores】
フローレス島、ヌサトゥンガラ諸島東ヌサトゥンガラ州、フローレス島最大の町、東北海岸に位置し、県庁所在地はシッカ県。港は町の北西の地域。キリスト教(カトリック)盛んな土地柄で2005年の調べで総人口27万人リストの内26万人がキリスト教徒。サン・ヨセフ教会に大聖堂がある。観光はダイビング、シュノーケリング。大型イルカが多く棲息する。1992年12月12日マグニチュード7.5を記録する地震が起こり、マウメレで2,000人が死亡する被害を受けた [マウメレのページへ]
【レウォレバ Lewoleba】
レウォレバ、ヌサトゥンガラ諸島ラマレラ村。世界で唯一、捕鯨が許されている村。インドネシア東部のレンバタ島にある人口高2,000人の村。バリに住むインドネシア人に「レンバタ島知ってる?」と聞いても殆どの人が知らないと答える。沖縄と同じ大きさの島だが知名度が低い。鯨捕りのラマレラ村を知っているかと聞けば「テレビで見た事があるが何処にあるか知らない」と帰ってくる。島より村の知名度が高いのだ。ここ10年で島の中心地から道路が出来、時間制限ながら電気もつくようになった。古式イカットの産地として高評価の島でもある。[レゥオレバのページ]
【スンバ島 Pulau Sumba】
スンバ島、ヌサトゥンガラ諸島ワインガプ タンボラカ)戦線より無事帰還されたお父様がスンバ島滞在されていた当時の従軍転跡の手配致しました。日本軍が上陸した海岸や洞窟、当時より運営していた市場や港へ行き、当時のお父様のお姿を感じて頂たご様子でした。ご帰国後ご丁寧なお手紙と共にコーヒー迄お土産に頂き美味く頂戴しました。【東ヌサトゥンガラ諸島・スンバ島横断日本軍従軍転跡[タンボラカのページへ]

エージェント様からのオリジナル現地手配、コーディネート承っております。本気のインドネシアお届け致します。
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【様々なヌサトゥンガラ諸島手配、お手伝い致しました 抜粋】

【コモド島】コモドドラゴン鑑賞ツアー手配
【ビマ】視察サポート、観光
【マウメレ】クリムトゥトレッキングツアー
【スンバ】日本軍従軍足跡探訪プランニング、イカット探訪ツアー
【クパン】視察ツアープランニング
ガルーダ航空、ライオン航空、トリガナ航空、ヌサトゥンガラ諸島地区国内線手配

【旅行会社様ヌサトゥンガラ諸島ツアーのお手伝い致しておりますお気軽にご相談下さい】

ヌサトゥンガラ諸島プランニングは自由自在。可能な限りユニットプランニング致します。
ご要望地(ヌサトゥンガラ及びインドネシアの地方都市、郊外)への航空券をお手配致します。
ヌサトゥンガラ諸島各地ランドオンリー、各地上手配承ります。
ヌサトゥンガラ諸島特殊なお手配ご案内致します。
インドネシア地図
【インドネシア各地域のページへ】
スマトラ島 ◆ジャワ島 ◆カリマンタン島 ◆バリ島 ◆ロンボク島 ◆ヌサトゥンガラ諸島 ◆スラウェシ島 ◆マルク諸島 ◆ニューギニア島パプア 

【ヌサトゥンガラ インフォメーション 2】

【フローレス島 Pulau Flores】
小スンダ列島を構成する島の一つである。面積は長野県程の13,540k㎡・人口は福岡市程の150万人。インドネシアの東ヌサ・トゥンガラ州に属する。西にはコモド島、スンバワ島が、東にはアドナラ島、ロンブレン島などがある。南にはスンバ海峡を隔てスンバ島がある。北はフローレス海である。

レウォトビ山、エゴン山などの火山がある。島の西部にはコモドオオトカゲが生息。2003年、ヒト属の新種ではないかとされる身長1mほどのホモ・フローレシエンシスの骨が発見され、翌年の公表以降話題を呼んだ。
【スンバ島 Pulau Sumba】
コモド島とフォーレス島の南に浮かぶスンバ島。面積は秋田県程の11,153k㎡・人口は横須賀市程の41万人独特のモチーフでつくられた織物「イカッ」や壮大な宗教行事パソーラ等伝統的な文化が脈々と息づいている島。プロテスタントやイスラム教も入ってきているが、依然約半数の人々がマラプという精霊信仰を崇めている。

島西部は比較的雨多く耕地に適しているが、総じてスンバ島は乾燥し痩せた土地で稲作や馬・牛の牧畜が細々と行われている。この地理的な条件などから1913年オランダに統治されるまでどこにも制圧されなかった。歴史的には14世紀にジャワ島のマジャパイッ王朝、その後スンバワ島ビマやスラウェシ島ゴアの影響下には入っている。しかし島内は地方の王族による支配が長く続き小王国間の戦闘が絶えなかった。そして奴隷売買の他、首狩り等奇怪な風習も20世紀に入る迄行われていた。
【コモド オオトカゲ Varanus komodoebsis】
巨大な肉食のトカゲ。オオトカゲの一種で世界最大のトカゲであり特に大きなものは全長3.5mの記録があるが通常は3m内外で体重は100kg近く。英名よりコモドドラゴン (Komodo Dragon) とも呼ばれる。東南アジア、インドネシアのフローレス諸島の中でコモド島・リンチャ島・ギルモンタン島・パダール島・フローレス島に生息。パダール島では既に絶滅。

これらはコモドオオトカゲの保護の為コモド国立公園として世界遺産に登録。肉食性で大食漢。空腹になるまで捕食せず一か月何も食べない事もある。唾液には口の中の食べ残しなどを栄養としている多種類の腐敗細菌が棲んでおり、噛み付かれた獲物は傷口から入ったこの細菌により敗血症を起こし短時間で絶命する。

如何に俊敏とはいえ自身より遥かに動きの早い温血動物を捉えることが出来る理由は一度狩りの相手とみなした場合、あきらめず数十キロも何日間も追い続け、相手が根負けするまで追い続ける根気強さにある。死肉の他、卵も好物で仲間の卵を食べてしまう事もある。また共食いもする。

その為、幼体(もしくは小さな個体)は大人に食べられる事を避ける為ある程度の大きさになるまでは木の上で生活をする。暑さに弱く日中は殆ど木の陰で寝そべって過ごす。オスはメスの3倍以上で、繁殖期にはオス同士肩を組み合ってメスをめぐって争う。争う際には立ち上がり取っ組み合う。鋭い鉤爪で厚い皮膚が破れる事もあり時には1時間も争う。

その間ずっと闘っている訳ではなく休憩を繰り返しながら行う。これをコンバットダンスと呼ぶ。若く小柄なうちは鋭い爪を使って木に登る事も多い。泳ぐ事もできる。尻尾の力が強い。寿命は100年を越える事もあると言われる。人を捕食した例もあるらしい。顎の力は強力で人間の足を一撃で噛み砕いた例がある。太い尾も強力で獲物を倒したりする。
【歴史】
南緯80-120、東経1180-1250間に広がる島々に多くの人々が居住している。その諸島は様々な呼称をされた。例えば、小スンダ、ヌサトゥンガラ、東ヌサトゥンガラ、フロバモラ等。その呼称は多く民族が同地区で東ヌサトゥンガラ社会を一つにする意味を持つ。東ヌサトゥンガラの名称が広がる以前は群島(Nusantara)南の諸島は世界の注目の的となっていた。

ティモールの芳しい香りの白檀は中東、中国、欧州そして地球の隅々迄浸透していき白檀の魅力はマラッカ、インド、ジャワ、マカッサル、中国商人達が商取引を行う為、同地赴くようになる。そして彼らはティモールと周辺の王達、地域の所有者らと直接的にビジネスを行う様になる

1350年以来、宋王朝には既に知られていたティモール及び周辺諸島へマカッサル・マラッカ・ジャワ・中国がやってきて、後にスペイン・英国・ポルトガル・オランダ欧州が大挙してくる。

1510年、インドのゴアがポルトガルに支配された。ポルトガルは更に1511年勢力拡大を続けマラッカも支配する。マラッカは交易の中心地で群島地区の権力となる。1511年、ポルトガルがソロール(Solor)に到着した後、フェルディナンド・マゼラン艦隊2隻がアロール島・ティモール島のクパンへ立ち寄る。プクアフ海峡横断でこの2隻の船は嵐に攻撃され、内1隻が大破し海底に沈んだ。この船の巨大な錨が未だロテ湾に所在している。他の1隻は怒り狂う荒波から逃れられ旅程を続行しサブ島へ行った。その後、喜望峰を経由してスペイン戻った。

オランダ東印度会社VOCは1614年、諸島を掌握。キリスト教布教の為にクパン、ロテ島へ牧師M van den Broeckを置いた。ティモール及び周辺の島々に事務所・砦・職員を設置し付随して宗教指導者として牧師を置いた。東印度会社VOC時代1600-1799年。更には1900年迄の一般に知られる歴史詳細は多くなく、そして同時に東ヌサトゥンガラ社会生活も追加された知識の可能性があると言う。

オランダは当時はまだナポレオン率いるフランス帝国の傀儡政治下に支配されていた。イギリスはその状況を利用しオランダ植民地を奪いイギリス植民地を広げた。英国艦隊がオランダ支配エリアを侵攻し1799年ほぼインドネシア全体がイギリス支配下に(除くジャワ・パレンバン・バンジャルマシン・ティモール)

1797年6月10日2隻の英国船がクパン港に到着するもMardjikers(元ポルトガル軍)により攻撃され後退。1799年、東印度会社は解散させられ インドネシアの全ての権利と義務はオランダ政府が引き継いだ。この権利移動は全てをもたらすものでなかった。この時オランダは近隣国による攻撃を浴びた戦争に直面していた

1942年迄の植民地時代の東ヌサトゥンガラ市民は王族から自治体の長迄をオランダの要望に併せて分割された、その後は居住者行政下の征服地域になる。日本が群島を支配時、東ヌサトゥンガラの地は戦略的な防衛基地として再編された。行政も事務も殆ど変化せず、言語だけが変わった。

1945年8月17日インドネシア独立宣言時、東ヌサトゥンガラはオランダ植民地支配から自由に。しかしながら、依然としてオランダは東ヌサトゥンガラを含んだ群島掌握の願望があり東ヌサトゥンガラに留まる為様々な行動をとる。その状態が東ヌサトゥンガラ市民自身の中で「民族主義」「自由」「独立」を奮い立たせた。東ヌサトゥンガラ自治と東インドネシア諸島行政で、その絶対に諦めない精神が生み出された。

東ヌサトゥンガラの地位は当時のジョグジャカルタとほぼ同じ状況下にありスカルノ、ハッタへ忠誠したと言える。東ヌサトゥンガラ住民の頑強な闘争は止む事が無かった。インドンネシアが独立し新たな国家になる事をかつて考えの中で出た事がなかった。東ヌサトゥンガラが植民地支配中の状態でなくインドネシア共和国の一部分になるようA.H. Koroh, I.H. Doko, Th. Oematan, Pastor Gabriel Manek, Drs. A. Roti, Y.S. Amalo達の精神と血がインドネシアの統一が芽生える。

インドネシアが未だ自立する以前、東ヌサトゥンガラは 小スンダ州行政の一部であった。1950年「小スダン州」の名は後に「ヌサトゥンガラ」に改称される。程なくして1957年法が整備され、1958年「ヌサトゥンガラ州」は「バリ州」「西ヌサトゥンガラ州」「東ヌサトゥンガラ州」3つの区画の分割された。1958年12月20日以降、フローレス島、スンバ島、ティモール島及び周辺諸島は東ヌサトゥンガラ州の一部となった。
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