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スマトラSUMATRA

スマトラ島旅行のオリジナル手配をご案内しております

スマトラ島、オリジナル手配
当社ではスマトラ島の様々なオリジナル旅行・ツアーお手配をご案内しております。日本発着のスマトラ島への国際線航空券をはじめ、インドネシア国内線航空券、現地ツアー手配。北はサバン島から南はランプン迄全スマトラ島地域の旅行をご案内致しております。

スマトラ島内辺境地の戦没者慰霊巡拝もご案内が可能です。日本人スタッフを含む現地スタッフも万全の体制で、全力投球でお客様のご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るインドネシア・スマトラ島を是非体感して下さい。
【スマトラ島・Sumatra・Sumatera】
スマトラ島地区、地図Sumatera又は、Sumatraと表記され世界で6番目に大きな島。島民はおよそ5221万人、面積は473,481ku、日本総面積のおよそ1.25倍。スマトラ島はPadang Roco石碑(カサ暦1208年クルタネガラ王政権時の歴史的な石碑)によるとサカ暦1208年、黄金の島、黄金の地又はマレーの地と呼ばれていた記載が残る。Negarakertagama(マジャパヒト王国時代の歴史的草稿)には14世紀から「マレーの大地」の名称になる。スマトラ島中央部には赤道が走り高温多雨、2,500m超級の山が10座あり最高峰は西スマトラ州とジャンビ州に属するバリサン山脈のKerinci山は3,805mと、日本の富士山より高い
アチェシナバンシボルガジャンビシランギットタンジュンパンダンタンジュンピナンドゥマイニアスバタムパダンパレンバンパンカルピナンバンダルランプンプカンバルブンクルメダン
スマトラ島の過去手配行程はこちらをご参照下さい

【 タパヌリオランウータン 新種発見 詳細はこちらからどうぞ 】

【スマトラ島 インフォメーション】

【歴史】
マラッカ海峡に臨み東西交通の要衝であるため、古代からスリヴィジャヤ王国などの諸王朝が興った。古くはヒンドゥー教仏教が優勢だったが、14世紀初めからイスラム勢力が進出した。16世紀以後ポルトガルイギリスオランダが進出。北部アチェ王国が最後まで抵抗したが、1873年1914年のアチェ戦争後、オランダの支配権が確立。パレンバンの豊富な石油資源を求めて日本軍1942年に占領し、幻となった「スマトラ横断鉄道」を作るも1945年に撤退

1949年のインドネシア独立後は、豊富な石油資源をもとに経済開発の中心の1つとなっている。インドネシア政府のジャワ島人口分散の一環として、1970年代以降200万人以上がスマトラに移住。一方北部では、アチェ王国の流れをくむ武装勢力が、
アチェ州の分離独立を求めてインドネシア軍と戦闘を行っている。2004年12月26日のスマトラ沖地震特にそれに伴う津波によって、北部アチェ州を中心に10万人以上が死亡した。

以来10年に渡りマグニチュード7.2以上の地震被害も10回を数える。又、島の形が地震によって地図の書き換えが必要なほどに歪んだと見られている。中部高原はスマトラの人口の集中地をなし東海岸の大部分は湿原が展開し人口は希薄。北部
アチェ州は古くから交易が盛んでインドネシアで最も早くイスラム教を受け入れた場所である。記憶に新しいスマトラ沖地震では多くの犠牲者を出した。主要都市はメダンパレンバンパダン
【経済】
スマトラ島は生産物が豊富な島。インドネシアで豊かな州上位5の内3つの州(アチェ州、リアウ州、南スマトラ州)がスマトラ島にある。スマトラ島の主な生産物は椰子油、煙草、石油、錫、ボーキサイト、石炭、天然ガス。主に外国企業が管理している。
【トバ湖】
インドネシアのスマトラ島北部にある湖。長さ100km、幅は約30kmで、面積は琵琶湖の約1.5倍の1000km2に及ぶ。1949年オランダの地学者ライン・ファン・ベメレンは、トバ湖がイグニンブライト岩の層によって囲まれたカルデラと報告。後の調査により、これと同種の岩石が3000km以上離れたマレーシアやインドにも存在する事が判明した。

又、海洋学者によって、東インド洋やベンガル湾でトバ湖にあるものと同じ火山灰が検出。今から約74000年前(3000年程の誤差がある)にトバで噴火が起こっている。これは、過去200万年で最大級の噴火でありこの噴火により広い範囲で地下水が噴出し地盤が沈下、トバ湖を形成するカルデラができた。

その後、多くの大型カルデラと同様のマグマの隆起が起こりサモシール島(トバ湖内で最大の島)が誕生。トバ湖は世界最大級のカルデラ湖でありこの噴火と同時期にヒトDNAの多様性が著しく減少する「
ボトルネック(遺伝子多様性減少)」が見られる事からこの噴火で当時の人類の大半が死滅したという説もある(トバ・カタストロフ理論)。

この噴火後は歴史に残るような大きな噴火はないが、何度か大きな地震が起こっている。1987年には南岸で地震が起こっておりスマトラ西沖に断層があり何度か大きな地震を引き起こしている。その中には2004年の
スマトラ島沖地震や2005年のスマトラ島西沖地震も含まれている。特に後者は震源地がトバ湖から320kmと近い位置で起きていた。トバ湖に浮かぶサモシール島はバタック人の伝統家屋や舞踊等が楽しめる。

【スマトラ島 主な都市、施設 一例】

【アチェ Aceh】
津波博物館、アチェスマトラ島最北端に位置し東南アジアで最もイスラムを受容した地域。古来より外部の支配者に対する激しい抵抗で知られており、現在のインドネシア政府に対しても自由アチェ運動が独立を要求して内戦状態にあったが2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による大津波でアチェが壊滅的な被害を受けた事を機に休戦。2005年8月15日に政府との間で和平協定が結ばれ、その後、独立放棄と武装解除しインドネシアの「州」へ。[アチェのページへ]
【メダン Medan】
メダン、トバ湖スマトラ島北東部に位置する都市、北スマトラ州の州都。スマトラ島最大都市、人口規模ではジャカルタ、スラバヤ、バンドゥンに次ぐインドネシア第四の都市。19世紀後半オランダ領東印度時代、オランダを始めとする欧州系民間資本が東スマトラ一帯でタバコ、ゴム、茶等のプランテーション農園を開発。それらの商品作物の中心的集荷地となり各種企業や政府機関も進出してスマトラ島東北部の中心として発展。[メダンのページへ]
【パレンバン Palembang】
パレンバンパレンバン油田地帯の民生安定・パレンバン防衛司令部の機密部隊として活躍後、同地で無念の最期を迎たご尊父様の慰霊巡拝手配を行いました。きっとご尊父様も遠路パレンバンまで訪れたお子様の立派な姿、お孫様の清楚なお姿に喜んだに違いありません。本件はご遺族様のご希望に対し、かなり詳細にお応え出来とても満足度の高い手配でした。【第25軍軍政監部 機関砲第101大隊鈴浦部隊陸軍軍曹 スマトラ派遣富第1949部隊】[パレンバンのページへ]
【パダン Padang】
パダン、ブラスタギ西スマトラ州一帯に住むミナン人、ミナンカバウ人又はパダン人と呼ばれる民族が中心となって築いた大商業都市。ミナン人はインドネシアでは先を読み計算出来る商業に向いた民族と言われる。都市部にオランダの東インド会社が植民地支配の手先として使っていた中国人が住み、田舎にブリブミ(先住民)が住むという構図が多いインドネシアにあって、パダンは華僑に支配される事無くミナン人が商業や流通の多くを動かしている。[パダンのページへ]

エージェント様からのオリジナル現地手配、コーディネート承っております。本気のインドネシアお届け致します。
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【様々なスマトラ島手配、お手伝い致しました 抜粋】

【アチェ】津波による大被害を被った人々への慰問手配
【サバン島】インドネシア最西端の地サバン島での戦没者慰霊巡拝
【メダン】戦没者慰霊巡拝、市内視察
【ニアス島】サーフィンツアー手配
【プカンバル】交易に深い歴史を持つプカンバル、視察手配
【ブンクル】戦没者慰霊巡拝及び視察手配
【パガルアラム】巨石遺跡調査
ガルーダ航空、ライオン航空、トリガナ航空、スマトラ地区国内線手配

【旅行会社様スマトラ島ツアーのお手伝い致しておりますお気軽にご相談下さい】

スマトラ島プランニングは自由自在。可能な限りユニットプランニング致します。
スマトラ島ご要望地(インドネシアの地方都市、郊外)への航空券をお手配致します。
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【スマトラ島 インフォメーション 2】

【産業】
タバコ、茶、天然ゴム、パーム油などのプランテーション農業が行われるほか、パレンバンを中心とする石油、天然ガス、錫、ボーキサイト、石炭などの鉱産資源もある。全島の半分以上が森林に覆われ、木材伐採や開拓などの開発が進められている。スマトラオオコンニャクやラフレシアも自生する。

【各地ので主な生産物】
[天然ガス:アチェ州・リアウ諸島州] [石油:北スマトラ州・リアウ州・南スマトラ州・リアウ諸島州] [石炭:南スマトラ州・西スマトラ州] [ボーキサイト:リアウ諸島州] [錫:リアウ諸島州] 花崗岩:リアウ諸島州] セメント:西スマトラ州]
【住民】
一般的にはスマトラ島はアチェ、バタック、マレー、ミナンカバウ、バスマ、ルジャン、オガン、コメリン、ランプン等の幾つかの種族に分類するマレー系が住んでいた。スマトラ島の東海岸地域やメダン、バタム、パレンバン、プカンバル、バンダルランプンの様な大きな町は多くの華僑系が居住。

スマトラ島の住民は東スマトラとミナンカバウ高地に集中していた。大部分が農家、漁師、商人である。スマトラ島民の大部分はイスラム教であるが、主に北スマトラ島の一部トバ・サモシール、タバヌリ地域ではプロテスタントを信仰してる地域もあり、メダン、プカンバル、バタム、パンカルピナン、パレンバン、バンダルランプ等の都市部では仏教文化もある。
【語源】
名前の由来、アチェ東海岸のサムドゥラ王国(Kerajaan Samudera)時代からとされている。モロッコ出身のイスラム探検家Ibnu Batutahが1345年訪れSamatrahをSamuderaと発音し、その後Sumatraとなったという。

その後16世紀頃にポルトガルが作成した地図では「Sumatra」と記載される。スマトラ(Sumatra)の名称由来はミナンカバウの民話“Cindua Mato”の中にミナンカバウ語で「黄金の島」を意味する記載があり、ランプン(Lampung)民話では“黄金の地”を「スマトラ島」と名称している。

唐の僧侶(名前は義浄)が長年スリウィジャヤ(現パレンバン)に定住していた7世紀にスマトラ島を“黄金の土地”を意味する“chin-chou”と表現した。幾つもの石碑の中サンスクリット語で“黄金の島”又は“黄金の地”とある。この名称は紀元前のインド文学(最も古い仏教文学の寓話本)で既に使われておりラマヤナ物語の中でRahwanaに連れ去られたRamaの妻Dewi SintaをSuwarnadwipa迄捜索と語られている。

アラブの航海人達はスマトラ島を“Serendib(正確にはSuwarandib)”と呼称。1030年スリウィジャヤを訪れたイスラム界を代表する11世紀の知識人Abu Raihan Al-Biruniがスリウィジャヤ国はSuwarandib島に位置すると語る。しかしSuwarnadwipaと称される事なくスリランカセレンディブと識別もあった。

古代ギリシャ民族間ではスマトラ島はTaprobanaの名称で知られていた。2世紀(西暦165年)にはTaprobanaの名は古代ローマの学者Klaudios Ptolemaiosによって東南アジアの地域を開設する時に使われた。Taprobana島はBarousai国にあるとPtolemaiosは書き残している。スマトラ島西海岸(現北スマトラ州)のバルスは古代から樟脳生産地として知られている。

西暦70年ギリシャ記録によるとTaprobana島は“黄金の島”の意味を持つニックネームを付けられ古代時代より周辺海域地の商人達は主にスマトラ島へ訪問し黄金を探す傍らその当時スマトラ島のみに存在した安息香と樟脳を探す。逆に商人達は商品調査を西アジア及び東アフリカへ行く。ユダヤ教書9章ではイスラエル王Nabi Sulaimanはティルス王(現レバノン・後に傘下)からおよそ14,280kgの金塊を受け取ったとされる。多くの歴史家はOphir(Ofirの表記も)の地スマトラ島(現パダン北のOphir山)に位置していると言う意見を持つ。尚、Tirusは遠東からの市場中心である。
【SamuderaからSumatraになる】
スマトラ島の名を始めて呼称下のはSumatrabhumi(sumatra王)のSriwijaya Haji王とされる。中国の伝えに基づくと1017年、中国へスマトラ名の使節を送っている。他にスマトラ島の呼称はアチェで13-14世紀の王国Samuderaからが起源という意見もある。15世紀以来の欧州航海人達は全島名称としてその王国名を使う

Samuderaの移り変わり(王国名) Sumatra(島名)になる追跡調査では1318年イタリアの旅行家・修道士Odorico da Pordenoneは1318年の旅行史の中でインド南東部のコロマンデルから東へ20日航海し、Sumoltra王国に到着とIbun Bathutahの本Rihlah ila-Masyriqの中で語られている。

1490年イスラム教徒のアラブ人航海士Ibnu MajiはSamudera Hindia 周辺地域地図を作成。その記載にはSamatrah島1498年RoteiroがIbnu Majidの地図を「Camatarra」と書き写した1505年イタリアの探検家・地理学者Amerigo Vespucciの記載地図ではSamataraの名称1510年Masserの地図内ではSamatraの名が記載されている。 1510年Ruy d'Araujoはこの島をCamatraと呼称。1512年ポルトガルの植民地征服者Alfonso AlbuquerqueはCamatoraと記録している。1521年イタリアの航海者Antonio Pigafettaは現在にやや近いSomatraとしている。その記載記録は多い為、より混乱を招いた「Samoterra」「Samotra」「Sumotra」「Zamatra」「Zamatora」等々

オランダとイギリスの記録を照合してみるとオランダの探検家・商人のJan Huygen van Linschotenとイギリスの航海士Sir francis Drakeの記載では16世紀「Sumatra」で一致している。この形成が標準となり、その後、インドネシア人の発音に適応する「Sumatra」となったとされる
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