バリ島 デンパサール

インフォメーション

当社ではデンパサール バリ島 Denpasar現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るデンパサール バリ島を是非どうぞ。

芸能・芸術の島として知られ、且つ、早くからビーチ・リゾートが開発されてきたバリは世界的な観光地。比較的若年層でも十分楽しめる事も人気の一要素。バリ島の貨幣経済は観光収入で成立するものとなっており、財政面でもバリ州の収入の3分の2が観光関連による。

バリ島の観光開発は、1969年のデンパサール国際空港の開港によってマス・ツーリズム向けの大規模開発が始まり、当初は、サヌールとクタが観光のメッカとなった。やがて、1980年代に入るとヌサ・ドゥアで高級リゾート向けの計画的な開発が進められ、1990年代に入ると、開発の波はこれらの地域を越えるようになり、主にクタの南北に広がり、スミニャック、レギャン、ジンバランからタンジュン・ブノアに至るまで沿岸部に広大な観光地帯が形成されるようになった。

スミニャックの北部には、タナロット寺院が位置している。サヌールやクタでは、爆弾テロ事件前後から当局と現地社会による治安維持の取り締まりが進み、屋台なども排除されるようになっている。バリ島は、これら島南部の海岸を舞台としたサーフィンのメッカとなっており、乾季・雨季を問わず良質な波を求めて世界各国からサーファーが訪る。

             「デンパサールアートセンター」「デンパサール博物館」「ケチャダンス」「バロンダンス」「タナロット寺院」「ベサキ寺院」「キンタマーニ高原」等のメジャースポットは割愛させて頂きます。
行政区画 バリ州 デンパサール
中核都市 デンパサール Denpasar
空港 デンパサール空港 Bandara Udara I Gusti Ngurah Rai, Denpasar
バリ島空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 KD:カルスター航空 8B:トランスヌサ航空 RI:マンダラタイガー航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空
バリ島空港を結ぶ他空港

◆スマトラ地区◆
[ バタム JT] [ パレンバン GA] 
◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA SJ JT RI QG] [ジョグジャカルタ GA JT] [スマラン GA] [スラバヤ GA SJ JT IN QG] [バンドゥン QG]

◆西ヌサトゥンガラ地区◆

[スンバワブサール 8B] [ビマ JT] [ロンボク GA JT]

◆東ヌサトゥンガラ地区◆

[エンデ GA KD] [クパン GA JT KD IN QG] [タンボラカ GA JT] [マウメレ JT] [ラブハンバジョ GA JT KD 8B] [ルトゥン 8B] [ワインガプ JT IN]

◆スラウェシ地区◆

[マカッサル(ウジュンパンダン) GA JT]

バリ島空港から主な地域への距離 約 デンパサール市街:15km クタ:5km サヌール:15km ヌサドゥア:14km ウブド:38km タナロット寺院:27km トゥガナン村:70km ロビナ:93km ヌガラ:107km
web site http://www.denpasarkota.go.id/ [デンパサール市]
http://www.baliprov.go.id/ [バリ州]
時差 日本より1時間遅い
面積 バリ州 5,780k㎡(三重県くらい)
面積 デンパサール市 127k㎡(富山県砺波市くらい)
人口 バリ州 433万人(福島県の85%くらい)
人口 デンパサール 89.7万人(大阪府堺市の1.1倍くらい)
宗教 バリ島 ヒンドゥー83.24%・イスラム13.3%・プロテスタント1.66%・カトリック0.88%・仏教0.54%
民族 バリ島 バリ84.96%・バリアガ0.4%・ジャワ9.6%・マドゥーラ0.77%・マレー0.59%・ササック0.58%・東ヌサトゥンガラ系0.5%・中国0.38%・スンダ0.3%・ブギス0.24%・バタック0.17%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

 

【バリ島 デンパサール 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【トゥガナン Desa Tenganan】

トゥガナン村は、バリ州カランガスム県マンギス郡の村。バリ島先住民、バリ・アガの村として知られ独自の文化・風習を今尚継承し続ける。チャンディダサの北方にあたる。経緯絣(ダブルイカット)や籐籠の制作でも有名。ここのグリンシンは日本の染色の先生も高評価している。[動画サイトの様子]

【ジャティルイ Jatiluwih】

ジャティルイはその景観の美しさだけでなく、独自の「スバック」と呼ばれる水利システムが評価され、2012年ユネスコの世界文化遺産として認定されました。スバックは単なる水利組合ではなく、「神と人間、自然と人間、人間と人間の3つの調和が取れた時に真の幸福が訪れるというトリヒタカラナの哲学を表現している。その一方で、村民は今迄通りの作業が継続出来るか不安な側面もある。[動画サイトの様子]

【ルンプヤン寺院 Pura Lempuyang】

ルンプヤン寺院はブサキ寺院と共にバリ・ヒンドゥーを代表する寺院として人々の信仰の拠りどころとなっている。天空の寺院とも呼ばれ、標高約1000mの高地に位置している。神の光やエネルギーが満ちている場所と考えられておりパワースポットとしても知られる。最近ではご来光を拝み、眺望を満喫するプランが人気。[動画サイトの様子]

【ブドゥグル高原 Bedugul】

バリ島でパワースポットが集中すると言われる町ブドゥグル高原。美しい湖、ブラタン湖(ウルン・ダヌ・ブラタン寺院)、バリ植物園(園内にある精霊が宿るガジュマルをくぐると願いが成就すると言われている。)。静寂で神秘的な空間に浸り、ゆったりした気持ちで身体も心も浄化してみては如何。[動画サイトの様子]

【オダラン Odalan】

オダランは、バリ島のお寺ごとに行われる創立記念のお祭り。普段はひっそりとしているバリ島のお寺も、この日は綺麗に飾り付けられ、朝から地元の人々が参拝に訪れる。又、夜は舞踊やガムラン等の伝統演芸が奉納される。降りて来られた神様の歓待に、音楽や踊りの伝統芸能を奉納。外国人が参加する事も可能。但し、事前に予約が必要で当日はくれぐれ慎重に失礼があってはならない。[動画サイトの様子]

【バビ グリン(豚の丸焼き) Babi Guling】

バリ島料理・名物と言えばやっぱり「バビ グリン」。通常の食事からお祝い事の席にも用意されるバビグリン。バリの人達にとってなくてはならないバリ島の代表料理。街の小さなワルンにはバリの人達が行列し安くてスパイシーなバビ グリンを食している。ナシ・チャンプルのように、ご飯の上にパリパリの皮やジューシーな肉、いろいろな部位がのせられています。観光客や在住者にもその味に虜になる人が多い。

【イ グスティ ングラライ I Gusti Ngurah Rai】

イ グスティ ングラ ライ(1917-1946)は バリ島バドゥン県出身。マランの高校に進学し、その後バリ島に戻りギャニャールの士官学校を優秀な成績で卒業。インドネシアの独立宣言後に発足した共和国人民治安軍タに入り、派閥抗争のあった共和国人民治安軍を1つにするために尽力。インドネシア独立戦争では、バリ島においてゲリラ戦術で8ヶ月間戦い抜いたが物資や武器を使い果し、オランダ軍補充部隊の兵舎を襲撃して成功を収めたが、その数日後にングラライの率いる部隊は、オランダ軍と遭遇し、オランダとバドゥン県マルガの戦闘で、人民治安部隊を率い96名が降伏勧告を拒否し玉砕。この時、ングラライがオランダ軍に送った返答文書の最後には「Merdeka atau mati!(自由か死か)」と書かれていた。この戦闘をププタン・マルガラナ事件という。この中には敗戦国12名の残留日本人も含まれる。ングラライは、同地チャンディ・マルガラナ墓苑に玉砕した部隊兵士とともに眠る。ングラライの名前は、デンパサール国際空港の別名グスティ・ングラライ国際空港としてその名前を残している。[動画サイトの様子]

【日本とバリ島 Jepang dan Bali(Denpasar)】

今やすっかり若者のビーチリゾート、サヌールビーチもかつては大東亜戦争の海岸地。日本軍の南方進出に際しては、ジャワ島攻略の足掛として1942年2月19日にバリ島のオランダ軍飛行場占領が行われたが、サヌールビーチは日本軍の上陸地点に。オランダ軍の反攻による上陸地点もサヌール海岸であり、付近の海域には海戦による沈没船もあると言われている。写真は「バリ島の父」と呼ばれた三浦襄氏の墓。

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