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スラカルタ王宮keraton surakarta solo

スラカルタ王宮 パクブワナⅡ

パクブワナⅡ世、スラカルタ・ソロ王宮、ジャワ島、インドネシア

パクブワナ2世 PakubuwanaⅡ

パクブワナ2世 PakubuwanaⅡ(1711.12.8-1749.12.20)
パクブワナⅡ世、スラカルタ・ソロ王宮、ジャワ、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットⅣの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王(スラカルタ市のスラカルタ王宮のページへ)。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。マンクブミ(後のハメンクブワンⅠ世)の兄。ラデン マス サイド(後のマンクヌガラⅠ世)の叔父にあたる。パクブワナⅡは1726.8.15王位を継承この時15歳。その若さ故に宮殿の重鎮らが権力争奪をする。

カルタスラの高官らも若い新王を懐柔しようと「親VOCラトゥ アマンクラット一派」と「反VOCパティ チャクラジャヤ一派」2つのグループに分かれてしまう。他の重鎮にアルヤ マンクネガラ(パクブワナⅡの異母兄で後のラデン マス サイドの父:以前第二次継承戦争に関与、先代に許しを乞う過去があり、反VOCパティ チャクラジャヤに睨まれる立場になる。)がいる。

1728年、反VOCのパティ チャクラジャヤはアルヤ マンクネガラをパクブワナⅡの妻と浮気する罠にはめ、パクブワナⅡはVOCへ圧力かけアルヤ マンクネガラをスリランカとへ流刑する(その後タンジュン ハラパンへ)1732年、パクブワナⅡとパティ チャクラジャヤの間で意見が対立するようになり、邪魔になったパティ チャクラジャヤをVOCへ依頼し翌年追放。VOCはその要求を喜んで遂行。パクブワナⅡとVOCは当初より良好な関係。祖父(パクブワナⅠ・アマンクラットⅣの父)の時代からの戦争費用借金を返済してるからだ。

【Geger Pacian】
1740.10.9-22カルタスラ陥落の原因となる事件。この事件の引金は当時VOC総督のAdriaan Valckenierの許可によるバタビアに於いて欧州社会による華僑市民の虐殺だ。東へ逃れた華僑市民はVOCへ攻撃を展開。パクブワナⅡは反VOCグループに華僑反乱軍を支援するよう迫られ1741.11パクブワナⅡは2万の軍勢で反乱軍を援護(この時ラデン マス サイドも支援)スマランのVOCを取り囲む。(1741.7には、カルタスラのVOCを鎮圧している。)


【カルタスラの陥落】
マドゥラの首領パンゲラン チャクラニンラットⅣの妻はパクブワナⅡの妹だがカルタスラ政権(マタラム)を腐りきっていると憎んでいる。チャクラニンラットⅣはカルタスラから離れられれば自身を呈してVOCに手を貸す。VOCはその申出をやむなく受け取る。状況が一転し、華僑集団は後退、この時パクブワナⅡはマドゥラでの優勢なVOCを敵にした事を悔やむ。1742.3 Baron von HohendorffがVOCの代表としてカルタスラへ訪れパクブワナⅡと和平条約を交す。

この条約は反乱軍達を激高させた。新たな王ラデン マス ガレンディ Raden Mas Garendi (アマンクラットⅢ[アマンクラットⅣの父親]の孫に当り、黄色人種のリーダーとして"スナン クニンSunan Kuning"とも称される)をアマンクラットⅤとして擁立。この時12歳。反乱軍の大多数は華僑市民でなくなり反VOCのジャワ人となっていった。1742.7 反VOCは大体的なカルタスラへの攻撃を行ない、パクブワナⅡとvon Hohendorffはポノロゴ(ジョグジャカルタとマランの間)へ敗走。

【スラカルタ設立】
1742.12 チャクラニンラットⅣはカルタスラを奪い、その成果を盾にVOCへパクブワナⅡは忠実でないとの判断で流刑を強く求める。しかしVOCはパクブワナⅡはまだ利用出来るとし断固拒否。チャクラニンラットⅣはVOCのマドゥラ独立への手助けが見送られるのを危惧してやむなくカルタスラを引渡す。

1743.10 スナン クニンは捕まり、同11月パクブワナⅡはカルタスラへ戻るもVOCとの条約で戦争費用の支払義務や皇太子・高官の継承並びに昇進はVOCへの相談無く行う事を禁ずる等、増々パクブワナⅡへ負担が大きくなった。カルタスラ王宮は既に壊滅の為パクブワナⅡは1745年Sala村(現ソロ)にスラカルタの名前で新王宮設立。

【まだ安全でないスラカルタの状況】
1745.2チャクラニンラットⅣはより強さを増し、Geger Pacinanの鎮圧の中で多くの東ジャワ領地を奪い、その領地をマドゥラの領地に含みたいがVOCが拒絶する。この結果にチャクラニンラットⅣは反乱しVOCと戦う事に。数か月後、チャクラニンラットⅣはバンジャルマシンへ敗走。しかし、バンジャルマシンのスルタンに捕まりVOCへ引き渡されチャクラニンラットⅣはタンジュンハラパンへ流刑。

華僑反乱軍者へ援助していたラデン マス サイド(父親が罠にはめられ流刑にされた事と、VOCへ寝返った事でパクブワナⅡへ恨みがある。)は奪ったカルタスラをチャクラニンラットに奪われソカワティ地を奪取する。パクブワナⅡはマス サイドに奪われたソカワティ村(ジャワ島真ん中の北岸)を取戻す為に懸賞付きの戦を公示。懸賞はソカワティ村の地を得られる。

1746年、マンクブミがその懸賞レースを獲るがマンクブミの政敵パティ プリンガラヤが懸賞を取消す様パクブワナⅡを説得工作。状況を更に混乱させるVOC総督Baron van ImhoffがVOCへ海岸地域を年20,000スペインレアルで賃貸するようパクブワナⅡへ迫りにスラカルタへ来た。マンクブミは断りにBaron van Imhoffが公共の場でマンクブミを侮辱し口論となる

【パクブワナⅡ行政の結果】
1746年、マンクブミは怒りスラカルタを離れマス サイドと手を組む。歴史では第三次王位継承戦争と呼ばれる兄弟戦争の勃発。1749パクブワナⅡは病で倒れBaron von Hohendorffが王位継承についてVOC立会人としてスラカルタへ着く。

パクブワナⅡは何と王宮の主権をVOCへ引渡してしまい。1749.12.11主権を渡す条約に調印する。それ以来王位(スラカルタ・ジョグジャカルタ・マンクヌガラン・パクアラマン)の任命権利を持つのはVOCのみになる。この条例はインドネシア独立迄引継がれる。パクブワナⅡはその病で世を去り、息子がパクブワナⅢとして継承した。継承権はVOCに移行されているのでこの擁立はVOCによるものであろう。

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【主な登場人物】

パクブワナ2世 PakubuwanaⅡ
パクブワナ2世、初代スラカルタ王、ジャワ島、インドネシアカスナナン カルタスラ王国アマンクラットⅣの子供で、スラカルタに新たな王宮を建設した王。父親の崩御により僅か15歳でカスナナン カルタスラ王を継承した為、VOCや周りの大人達に政治利用される。【スラカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
ハメンクブワナⅠ HamengkubuwanaⅠ
ハメンクブワナ1世、初代ジョグジャカルタ王、ジャワ島、インドネシア幼名をラデン マス スジャナ。成人しての称号をパンゲラン マンクブミ カルタスラ王室アマンクラットⅣ(マタラム王国)と側室マス アユ テジャワティとの息子でジョグジャカルタ王宮を設立した初代王。【ジョグジャカルタ王宮ページ】 【王宮WEB】
マンクヌガラⅠMangkunegaraⅠ
マンクヌガラ1世、初代マンクヌガラアン王、ジャワ島、インドネシア分裂時代はラデン マス サイド Raden Mas Saidの名前で活躍。パクブワナⅡとマンクブミ(ハメンクブワンⅠ)の甥、祖父がカスナナン カルタスラ王アマンクラットⅣ。第二婦人がマンクブミの娘なのでハメンクブワンⅠの婿でもある。【マンクヌガラアン王宮ページ】 【王宮WEB】
パクアラム Paku Alam
パクアラム1世、ジャワ、インドネシア襲名前はBendara Pangeran Harya Natakusuma.生まれは1760とも。ハメンクブワナⅠと側室Raden Ayu Srenggarの子。子沢山のハメンクブワナⅠが可愛がった一人とされている。[因みに写真はパクアラムⅠの孫で1857年より継承するパクアラム3世]【パクアラマン王宮ページ】 【王宮WEB】
取巻く人々
マタラム王国取巻く人々、ジャワ島、インドネシア王室の内外には敵味方がわんさといた当時のマタラム王国、様々な人々の助けもあるが、大概は互いに政治利用するものだった。【取巻く人々のページ】

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