コタバル

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当社ではコタバル 南カリマンタン州 Kotabaru現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るコタバルを是非どうぞ。

閲歴によると、コタバル県は1786年頃、コタバル県にはクサン・パガタン等幾つかの大小の公国や王国があった。その後オランダと日本の植民地時代を迎える。1905年オランダ政府は王国を廃止にした。オランダ政府は直ちに市民を支配、監視出来るよう王を住民との仲介者とし、トラブルを引き起こす可能性に対して予防線を張る。

地域行政は直ちに移り変わりオランダ植民地行政に遂行掌握された。1942年、日本軍がコタバル及びその周辺地域を占領する。1945年、日本が敗戦し、中部カリマンタンにて独立運動が始まる。

行政区画 アチェ州 州都
中核都市 南カリマンタン州 コタバル県
空港 コタバル市 Kota Kotabaru
コタバル空港乗入れ航空会社 KD:カルスター航空
コタバル空港を結ぶ他空港 ◆カリマンタン地区◆ [ バンジャルマシン KD] 
コタバル空港から主な地域への距離 約 コタバル市街:10km
web site http://kotabarukab.go.id/ [コタバル県]
https://bkd.kalselprov.go.id/ [南カリマンタン州]<
時差 日本より1時間遅い
面積 南カリマンタン州 37,530k㎡(北海道の半分くらい)
面積 コタバル県 9,442k㎡(山形県より少し広い)
人口 南カリマンタン州 424万人(大阪の半分くらい)
人口 コタバル県 28.9万人(東京都目黒区くらい)
宗教 コタバル イスラム92.52%・プロテスタント3.06%・カハリンガン2.26%・仏教0.85%・カトリック0.84%・ヒンドゥー0.47%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【コタバル 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【シリンラウト Siring Laut】

街の中心地であり、地域の人々の憩いの場。サンセットの美しさが人気で子供から大人迄が遊びながら楽しんでいる。食堂やレストランで食事やスナック軽食を楽しむ事も出来る。地元文化フェスティバルもここで開催される。[動画サイトの様子]

【魚市場 Pasar Ikan】

魚市場。コタバルの漁獲は結構盛んで色々な酒類の魚が見られる。コタバルの人々の台所。総合的な市場は「Pasar Kemakmuran」だが、2015年4月に火事になり、再建中

【クトゥパッ カンダンガン ketupat Kandangan】

バンジャル語では、「Katupat Kandangan」とも表現される。南カリマンタンの特産料理一般にいうケトゥパ(三角の形をした米原料の粽)に似ている。一般のケトゥパとの違いはココナツで炊いた雷魚をベースに使う。[動画サイトの様子]

【Aji Pangeran Kusumanegara】

CantungとBuntar Laut地区の王。現在のKelumpan Hulu市で、Tanah Bumbu県。(Tanah Bumbu県は以前Kotabaru県に含まれていた。)氏は厳粛なイスラム敬愛者であるが宗教の隔てなく、又、市民へ身分を分け隔てなく接した庶民派の国王。アジはオランダ植民地時代を快く思っていなかった。そのアジへ内部工作戦略で知られるオランダがおとしめ1890年、オランダへの反逆罪として失脚させられる。1929年6月25日死去

【日本とコタバル Jepang dan Kotabaru】

只今作成中。少々お待ちください。

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