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当社ではナビレ、パプア州、Nabire、現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るナビレを是非どうぞ。
【オランダ統治時代】
パプアの地はインドネシアが植民地された1828年からと言われているがオランダが実際にパプアを支配したのは1898年と考えられている。パプアは当時オランダ権力により2分割された。北側を”Afdeling Noord Nieuw Guinea”マノクワリを中心地としてホムボルト湾西側から東端迄と西部分を”West en Zuid Nieuw Guineaとし、ファクファクを中心にした。
ナビレでのオランダ行政の始まりは当初ナビレ南西の町”Enarotali”1932年カトリック布教が目的で行われた。1937年西側の山脈中腹で全く知られていない地図にもその存在が表記されていない地域が発見されたのがナビレ。1937年9月18日確認の為、遠征隊を派遣。1937年10月3日 山脈に社会集団を発見、その住民はKapauku族、後にEkagi族として知られる先住民。1938年11月10日この地で初めてオランダが行政を開始される。数年後の1942年にナビレにもオランダ行政が施行された
【「ナビレ」名称の由来】
先住民の系譜により名前の由来が異なる。ワテ族の話に基づくと「ナビレ」の語源は”Nawi”からに由来。時と共にいつの間にか”Nawi”は呼び方を”Nawire”へ、そして現在の”Nabire”になる。ワテ族は同じ語源を使用する5つ(Waray,Nomei,Raiki,Tawamonim,Wali)の種族が6つの集落と3つの地区から成り立っている。
ユリシャム族によるとナビレの語源は取り残された地域の意味にあたる”Navirei”この”Navirei”の呼び方は Yerisyam族とHegure族間地区での平和祭典を行う場所の名としており、その後”Nabire”に変わっていき初代の長官が正式に名称を定めたとされる。又は、”Na Wyere” と呼称。この理解は地元民を襲った疫病に関連している「失われた地」を意味する事から、次第に”Nabire”になったという。
ヘグレ族では海岸線に生息する様々な椰子科類を意味する”Inambre”の呼称としている。他所から人が増えた事と、時と共に”Nabire”に呼称が変更したと言う。行政始動時の関連では略語として形成「N=nyaman(快適)」「A=Aman(安全)」「B=Bersih(清潔)」「I=Indah(美しい)」「R=Ramah(フレンドリー)」「E=Elok(麗しい)」の各頭文字を総称で「NABIRE」と意味する名称としたとしている。
行政区画 | パプア州 ナビレ県 |
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中核都市 | ナビレ Nabire |
空港 | ナビレ空港 Bandar Udara Nabire |
ナビレ空港乗入れ航空会社 | JT:ライオン航空 IL:トリガナ航空 |
ナビレ空港を結ぶ他空港 | ◆マルク地区◆ [ アンボン JT] ◆パプア地区◆ [ ジャヤプラ JT IL] [ ドゥカイ IL] [ワメナ IL] |
ナビレ空港から主な地域への距離 約 | ナビレ市街:2km ゲドビーチ:10km |
web site | http://nabirekab.go.id/ [ナビレ県] https://www.papua.go.id/ [パプア州] |
時差 | 日本と同じ |
面積 パプア州 | 420,540k㎡(北海道の5.4倍くらい) |
面積 ナビレ県 | 6,861k㎡(島根県くらい) |
人口 パプア州 | 326万人(茨城県の1.14倍くらい) |
人口 ナビレ県 | 14.5万人(栃木県足利市くらい) |
宗教 ナビレ県 | プロテスタント50.26%・イスラム39.22%・カトリック9.67%・ヒンドゥー0.02% |
町のイメージ | 外部の動画サイトによる町のイメージ |
【ナビレ 観光地、史跡、郷土料理、著名人】
【グドビーチ Pantai Gedo】
Pantai Gedoは自然に囲まれたビーチ、近年整備も整い地元民の憩いの場所の一つである。休日には家族で訪れ日頃の疲れを癒しに来る姿も多い。又、催し等のイベント会場として利用される事もある。[動画サイトの様子]
【Penemuan air terjun raksasa】
ナビレ観光局と地元の人とで新たな観光スポットを作成。ナビレのジャングルでの自然景観や大きな滝等を満喫する散策ツアー。[動画サイトの様子]
【文化フェスティバル Festival Budaya】
毎年9/17に文化フェスティバルが催される。伝統文化のショー、音楽、歌、食事、薬、祖父伝来の品々、各村落の習慣を披露している。このフェスティバルは種族・宗教・人種の区別ないナビレ社会のプロモーション活動。[動画サイトの様子]
【SP1市場 Pasar SP 1】
SP1市場は西ナビレ地区に位置。この市場は地域行政がマカサール及びジャワ出身者に権益をもたらし、地元民であるパプアのお母さん達は道の端っこや露店やタクシー広場で販売している。[動画サイトの様子]
【ナビレみかん Jeruk khas Nabire】
ナビレみかん。甘くて美味しいと評判。収穫時の皮の色は青緑がかっているが、直ぐに熟し食べられる状態になる。実はこのみかん栽培の歴史は浅く1991年頃からでジャワからの移住者が行ったことが始まり。2000年代に入りパプア全土にも広がり、パプア特産の一つとなりつつある。[動画サイトの様子]