サウムラキ

インフォメーション

当社ではサウムラキ、マルク州、Saumlaki、現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るサウムラキを是非どうぞ。

サウムラキはタニンバール諸島のヤムドゥナ島にあり、タニンバール諸島全てを含む西南東マルク県の首都。南タニンバール市の町でもある。西南東マルク県は2002年南東マルク県から分けられた比較的新しく設置された県。1629年、サウムラキはクリスチャン宣教師より強い影響受けたタニンバール諸島の一部分。華僑の多い街。生産物があまりないので多くをスラバヤから入ってくる。

1942年の終わり、第二次世界大戦(大東亜戦争)に於いて日本軍はオーストラリアのダーウィンを攻撃後マルク海域に入る。事前に、オランダは準備したJulius Tahija軍曹指揮下植民地軍の部隊をサウムラキに上陸。7/30 早朝04:00 日本艦隊がサウムラキ湾に侵攻、数十の日本軍が上陸前、機関銃の一斉砲火を浴びせ日本軍は大きな損害を被る。

Julius Tahijaと残りの軍隊はオーストラリアのバスルスト島へオーストラリア軍と合流の為出航。その後、オーストラリアの戦争英雄として歓迎され、最高の賞賛をオランダ王国から得る。その後、東インドネシア国(一時作られた国家)内閣としてインドネシア軍達を助ける。だが、このオランダ植民地下のインドネシア軍が日本軍を排除した事はインドネシアの人々には理解を得られなかった

行政区画 マルク州 タニンバール諸島県
中核都市 サウムラキ Saumlaki
空港 サウムラキ空港 Bandar Udara Mathilda Batlayeri, Saumlaki
サウムラキ空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 JT:ライオン航空
サウムラキ空港を結ぶ他空港 ◆マルク地区◆ [ アンボン GA JT]
サウムラキ空港から主な地域への距離 約 サウムラキ市街:5km
web site https://www.mtbkab.go.id/ [タニンバール諸島県]
http://www.malukuprov.go.id/ [マルク州]
時差 日本と同じ
面積 マルク州 209,235k㎡(北海道の2.67倍くらい)
面積 タニンバール諸島県 4,465k㎡(山梨県くらい)
人口 マルク州 174.4万人(熊本県)
人口 タニンバール諸島県 12.2万人(奈良県橿原市くらい)
宗教 タニンバール諸島県 プロテスタント52.94%・カトリック40.26・イスラム6.79%・他0.8%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【サウムラキ 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【サウムラキ 1】

只今編集中。少々お待ちください。

【Perahu Batu dan Tangga Batu】

タニンバル諸島 戦没地足跡探索

サンリアット・ドル村(Desa Sangliat Dol)にて船の形をした石と石段の歴史遺産がある。歴史の起源は謎であり、地元の人々も説明できる人がいないという。歴史の証拠としての文字化されている遺跡はない、作成についても謎。この村に興味を持つ海外からの科学者は多いと言う。推測では400-500年前とされる。今ではPerahu Batuは住民が重要な会議を行なう村の中心場所として使われている。この地域には4つの種族が居住しておりPerahu Batuを中心に前後左右に集落がブロックに分かれている。又、Perahu Batuは村の原泉の井戸と考えられている。残念な事に2002年頃に石の船首にあたる部分が盗難され、それ以降は大切な部分は村長宅や重鎮宅に保存している。サウムラキ市内より42Km

【セラル島 Pulau Selaru】

ティモール海オーストラリア国境に位置するインドネシアで最も外側の島でYamdena島隣。セラル島は西南東マルク県に10ある市の一つであり、7つの村が行政区画されている。(アダウト村が島内最大の村であり市の中心)余り知られていないがセラル島は第二次大戦(大東亜戦争)時は日本軍の軍事基地であった。今でも幾多の日本軍の残された物品が残っているようだ。アンボン考古学センターが訪れ、物品のデータの回収・調査している。同センター研究者によるとスラル島には当時の地下避難壕や大砲の残骸が幾多も残っていると記録している。それだけでなく、日本軍が作った滑走路もある。今や滑走路は雑草等に被われている日本軍がセラル島へ上陸は1942.10.5セラルでは日本が来て連合軍の幾多の飛行隊がセラルを砲撃するも当時セラルでは日本軍が強くオーストラリアを攻撃出来ると想像していた。

関連記事