サマリンダ

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当社ではサマリンダ 東カリマンタン州 Samarinda</font>現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るサマリンダを是非どうぞ。

サマリンダは東カリマンタン州に位置し、同州最大の町で州都。サマリンダは以前はクタイ王国地域の一つの町であったとして知られている。この地域はかつて、単一の村が設立されていなかった、ましてや町など。17世紀半ば迄は、サマリンダ地域は水田地帯で、水田地帯の畑作農業はカランムムス川とカランアサム川の川沿いに集中していた。

2005年8月15日に政府との間で和平協定が結ばれた。その後、独立放棄と武装解除に応じインドネシアの「州」であることに同意。1976年以来29年間続いた独立運動は事実上終結した。2009年4月の州知事令で正式名称が「アチェ州」に改められた。

行政区画 東カリマンタン州 サマリンダ市 州都
中核都市 サマリンダ Samarinda
空港 サマリンダ空港 Bandar Udara Temindung, Samarinda
サマリンダ空港乗入れ航空会社 KD:カルスター航空
サマリンダ空港を結ぶ他空港 ◆カリマンタン地区◆
[ タラカン KD] [ タンジュンセロール KD] [ヌヌカン KD] [バリクパパン KD] [ブラウ KD]
サマリンダ空港から主な地域への距離 約 サマリンダ市街:25km イスラミックセンター:30km パンパン村:11km テンガロン:53km バリクパパン:136km バンジャルマシン:602km タンジュンセロール:622km
web site http://www.samarindakota.go.id/sites/v2/ [サマリンダ]
https://kaltimprov.go.id/ [東カリマンタン州]
時差 日本より1時間遅い
面積 東カリマンタン州 127,346k㎡(北海道の1.62倍くらい)
面積 サマリンダ 718k㎡(山口県下関市くらい)
人口 東カリマンタン州 375.5万人(静岡県くらい)
人口 サマリンダ市 81.2万人(山梨県くらい)
宗教 サマリンダ市 イスラム87.32・プロテスタント8.65%・カトリック2.54%・仏教1.09%・ヒンドゥー0.13%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【サマリンダ 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【マハカム川流域 Sungai Mahakam】

マハカム川はカリマンタン島で最も長い全長980kmに及ぶ川。下流では川幅500mを越える。サマリンダやテンガロンなどからダヤック人の村々を訪ねる川旅。マハカム川の船旅は概ね2つに分かれる。「ロングボート」地元人達の交通手段、便数が少なく時間も掛るが、のんびりするには良い。「チャーターボート」自身プランに合わせて思いのままに運転してもらう。[動画サイトの様子]

【サマリンダイスラミックセンター Islamic Center Samarinda】

サマリンダイスラミックセンター、東南アジアの主要なICの一つ。イスラミックセンターここに入る時はムスリム正装をしなければならない。ムスリムでない人は頭を覆います。サマリンダイスラミックセンターは観光地としても有名。[動画サイトの様子]

【パンパン村 Desa Pampang】

パンパン村はサマリンダより25kmに位置するダヤック族の村。部族の生活や習慣を見る事が出来る。毎週日曜日の午後は舞踊公演がある。公演後は記念撮影等もできる。[動画サイトの様子]

【テンガロン Tenggarong】

インドネシア最古とも言われるムラワルマン王朝が5世紀ごろから栄えたテンガロン。その後クルタネガラ王国が誕生した。王国跡地にムラワルマン博物館として公開されており伝統的なダヤック続の建築様式が威厳を満ちている。1932年に建てられたこの博物館にはサンスクリット文字の石碑やクタイ王国やダヤック民族についての展示物が豊富に取り揃えてある。サマリンダの北西40km。[動画サイトの様子]

【ナシ クニン Nasi Kuning】

サマリンダ料理・名物はナシクニン。サマリンダは意外に食の宝庫、本編では「ナシクニン」とします。ターメリック・ニンニク・ココナッツミルク等で炊いた黄色いご飯。トッピングは様々お好みで、肉や魚を煮たものを乗せるのが一般的。お祝いの席で装飾されて作られる事もあり、おめでたい食べ物。[動画サイトの様子]

【APT プラノト Aji Pangeran Tumenggung Pranoto】

アジ パングラン トゥムンッグン プラノト(1906-1976)東カリマンタン州カルタネガラ出身。スルタン クタイ カルタネガラの第7番目の息子。東カリマンタン州初代知事。1927-1929年,バングン・サンガサンガの町を治め、1935年より、クタイ王宮によりインドネシアカリマンタンの摂政を任される。一般市民にも友好的で穏健派であった。1976年サマリンダにて死去。

【日本とサマリンダ Jepang dan Samarinda】

バリックパパンからサマリンダ迄の105キロの道を「死のサマリンダ街道」と呼ばれている。 1945年6月、バリックパパンに逆上陸してきた連合軍(主として豪州軍)を迎えて、戦力に劣る日本軍はサマリンダへ敗走、この街道だけで数千人が戦病死している。パリックパパンの空港から近いマンガル海岸には犠牲者を慰霊して「南方方面戦没者慰霊碑」が建っている。戦後BC級戦犯の方々はここで処刑され又、軍人・軍属は復員迄の間、この地で収容された。サマリンダ街道・サマリンダ郊外には幾つもの日本人慰霊碑がある。写真はサマリンダ街道最大の犠牲者を出した旧野戦病院跡。現在はこの碑のみがある。

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