タンジュンセロール

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当社ではタンジュンセロール 北カリマンタン州 Tanjung Selor現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るタンジュンセロールを是非どうぞ。

ブルンガンの名前はタンジュンパラスに所在地を置くブルンガン王宮の呼称が起源。ブルンガンは先般迄、東カリマンタン州の行政区画であった。1999年より、ブルンガン県、マリナウ県、ヌヌカン県、タラカン市の3つの県と1つの町行政区画が変った。2012年第四の自治体タナティドゥン県が加わり現在の新しい州として「北カリマンタン州」となる。タンジュンセロールはブルンカン県の首都、大部分は公務員と商人を職業に持つ静かで快適な内陸部の町の一つである。

行政区画 北カリマンタン州 ブルンガン県
中核都市 タンジュンセロール市 Kota Tanjun Selor
空港 タンジュンセロール空港 Bandar Udara Tanjung Harapan, Tanjung Selor
タンジュンセロール空港乗入れ航空会社 KD:カルスター航空
タンジュンセロール空港を結ぶ他空港 ◆カリマンタン地区◆
[ サマリンダ KD] [ タラカン KD] [ヌヌカン KD] [バリクパパン K]
◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA JT ] [ ジャカルタハリム ID]
タンジュンセロール空港から主な地域への距離 約 バンダアチェ市街:11km アチェ博物館:18km メダン:426km シボルガ:527km
web site http://www.bandaacehkota.go.id/ [バンダアチェ]
https://acehprov.go.id/ [アチェ州]
時差 日本より2時間遅い
面積 アチェ州 57,956k㎡(北海道の73%くらい)
面積 バンダアチェ 61.36k㎡(千葉県松戸市くらい)
人口 アチェ州 528万人(北海道くらい)
人口 バンダアチェ 22.6万人(埼玉県上尾市くらい)
宗教 バンダアチェ イスラム98.2%・プロテスタント0.3%・カトリック0.2%・ヒンドゥー0.02%・仏教1.2%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

 

行政区画 北カリマンタン州 ブルンガン県
中核都市 タンジュンセロール市 Kota Tanjun Selor
空港 タンジュンセロール空港 Bandar Udara Tanjung Harapan, Tanjung Selor
タンジュンセロール空港乗入れ航空会社 KD:カルスター航空
タンジュンセロール空港を結ぶ他空港 ◆カリマンタン地区◆
[ サマリンダ KD] [ タラカン KD] [ヌヌカン KD] [バリクパパン KD]
タンジュンセロール空港から主な地域への距離 約 タンジュンセロール市街:15km ブルンガン王宮博物館:20km カシムディンモスク:20km グヌンプティ:20km マリナウ:210km ブラウ:147km サマリンダ:586km バリクパパン:714km
web site http://www.bulungan.go.id/v02/ [ブルンガン県]
https://kaltaraprov.go.id/ [北カリマンタン州]
時差 日本より1時間遅い
面積 北カリマンタン州 75,467k㎡(北海道よりやや狭い)
面積 ブルンガン県 13,925k㎡(福島県よりやや狭い)
人口 北カリマンタン州 69.1万人(静岡県静岡市くらい)
人口 ブルンガン県 15万人(東京都東村山市くらい)
宗教 ブルンガン県 イスラム70.6%・プロテスタント22.65%・カトリック6.18%・仏教0.5%・ヒンドゥー0.07%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

 

【タンジュンセロール 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【ブルンガン王宮博物館 Museum Kesultanan Bulungan】

クスルタナン・ブルンガン博物館は北タンジュンパラス市に位置。タンジュンセロールからはとても近いが船で川を横断しなければならない5-10分。昔タンジュンパラスはタンジュンセロールと比較される程の盛況な町であったようだ。博物館には王宮時代の遺品を見る事が出来る。玉座の椅子、生活用品、王宮の系譜、王族の写真、博物館正面にはタンジュンセロールに向けた大砲である。[動画サイトの様子]

【カヤン川 Sungai Kayan】

カヤン川は流れの急流レベルが高く、今後ボート競技観光も期待されている。カヤン川には20の異なる部族の村が存在し、川沿いの生活は狩猟と農作が主である。住民の多くがダヤック族とブルンガン族だが各村同様にブギス、バンジャール、トラジャ、ジャワその他それぞれの種族がいる。

【カシムディンモスク Mesjid Sultan Kasimuddin】

ブロンガン王(スルタン マウラナ ムハマッド カシムディン)政権時に建立。木材とコンクリートで出来ており内装オランダからの欧州洋式。メイン室内は19m x 19 mの四角形高さは15.5m。このモスクは窓がなく11の扉に囲まれてる。1992-1994年に東カリマンタンの歴史遺跡遺産保護として修復工事をした。[動画サイトの様子]

【サジャウ温泉郷 Air Panas Sajau】

日本でもお馴染みの温泉たまごを茹でる風景が見られる。美しい自然が残り冒険のような雰囲気を得られる。 只今編集中です。

【グヌンプティ Gunung Putih】

石灰山の白さから「Gunung putih」(白い山)と呼ばれる。彫刻のような模様が綺麗。頂上まで登る階段の段にレリーフ景観を楽しめる。頂上から覗く自然景観を楽しめ、ブルンガン王が瞑想した場と信じられているている鳥の洞窟等がある。グヌンプティは芸術感を享受できる観光地である。

【ラワ ムンティムン Lawa Mentimun】

ラワ ムンティムンは皮を剥いて細かくスライスした胡瓜又は海藻をベースに煎った椰子と海老を和えたサラダ風の料理。海老の他に貝を代用する事もある。お好みでよりジャガイモを加える事もある。

【Sultan Maulana Muhammad Djalaluddin】

スルタン マウラナ ムハンマド ジャジャルディンは現在のブルンガン、タナ・ティドゥン、マリナウ、ヌヌカン、タラカン、タワウ地域から成り立っている海岸側地域支配していたブルンガル王国最後の王。ブルンガン王国の設立は1731年。初代王はWira Amir(称号Amiril Mukminin)。スルタン マウラナ ムハンマド ジャラルディンはオランダ・日本・独立インドネシア3つの激動の時代を生きた。インドネシア独立後の1950年ブルンガン地区はインドネシア新政府に自治体にされる。1958年ジャジャルディン逝去。1964年「ブルティクンの悲劇」のより一方的に王国を廃止されてしまった。「ブルティクンの悲劇」1964年7月3日、インドネシア軍がブルンガン王室家族・高官らを殺戮・財産強奪・王宮放火した惨劇。

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