インフォメーション
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インドネシア共和国の首都ジャカルタ。ジャカルタは現在では東南アジア地域最大の都市に成長。元々はスンダ・クラパと呼ばれた小さな港町だった。マレーシアのマラッカにイスラム商人との交易で栄たスルタンが誕生すると、それに影響されてインドネシアの沿岸部には次第にイスラム教に改宗れていった。
イスラム勢力がこの地を手に入れるとジャヤカルタと改称。その後、オランダが東インド会社の拠点を現在のコタ地区に置き、名称をジャヤカルタからバタビアと改称される。その後、急速に発展後、日本占領によってジャカルタに改称され。現在に至る。東京都とは姉妹都市。
2005年8月15日に政府との間で和平協定が結ばれた。その後、独立放棄と武装解除に応じインドネシアの「州」であることに同意。1976年以来29年間続いた独立運動は事実上終結した。2009年4月の州知事令で正式名称が「アチェ州」に改められた。
行政区画 | ジャカルタ首都特別州 東京都と姉妹都市 |
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中核都市 | ジャカルタ Jakarta |
空港 | ジャカルタ空港 Bandar Udara Internasional Soekarno Hatta Tangerang |
ジャカルタ空港乗入れ航空会社 | GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 IL:トリガナ航空 KD:カルスター航空 8B:トランスヌサ航空 3Y:カルティカ航空 RI:マンダラタイガー航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空 |
ジャカルタ空港を結ぶ他空港 |
◆スマトラ地区◆ ◆ジャワ地区◆ [ジョグジャカルタ GA SJ JT QG ID] [スマラン GA SJ JT IN QG ID] [スラバヤ GA JT 3Y RI IN QG ID] [ソロ GA SJ JT IN] [マラン GA SJ] ◆西ヌサトゥンガラ地区◆ [デンパサール(バリ) GA SJ JT RI QG] [ロンボク GA ID] ◆東ヌサトゥンガラ地区◆ [クパン ID] ◆スラウェシ地区◆ [クンダリ GA] [パル GA JT] [マカッサール(ウジュンパンダン) GA SJ JT QG ID] [マナド GA JT ID] ◆マルク地区◆ [アンボン GA JT ID] [テルナテ GA SJ] ◆パプア地区◆ [ジャヤプラ GA] [ソロン QG] [ティミカ GA] [ビアク GA] |
ジャカルタ空港から主な地域への距離 約 | ジャカルタハリム空港:37km モナス(独立記念塔):29km ブカシ:55km 在インドネシア日本大使館:32km アンチョール:km ブロックM:32km タマンミニインドネシア:44km ボゴール:84km |
web site | http://www.jakarta.go.id/web/ [ジャカルタ] |
時差 | 日本より2時間遅い |
面積 ジャカルタ特別州 | 661k㎡(東京23区よりやや広い) |
人口 ジャカルタ特別州 | 1,085万人(東京都80%くらい) ジャカルタ首都圏では2,800万人 |
宗教 ジャカルタ | イスラム80.3%・プロテスタント8.62%・カトリック4.04%・仏教3.84%・ヒンドゥー0.21% |
町のイメージ | 外部の動画サイトによる町のイメージ |
【ジャカルタ 観光地、史跡、郷土料理、著名人】
【モナス独立記念塔 Tugu Monas】
モナスは、インドネシアの首都ジャカルタ・中央ジャカルタ地区ムルデカ広場の中心部にある国家独立記念塔の名称でジャカルタのシンボルである。モナスとは「Monumen Nasional (英語でNationnal Monument)」を略した造語。エレベーターが設置され、最上部137mでは展望台になっており、ジャカルタ市内を一望することが出来る。台座部分は歴史博物館になっており、インドネシアの歴史が48のジオラマで展示されている。1945年8月17日スカルノによって読み上げられた手書きの「独立宣言文」が収められている。[動画サイトでの様子]
【ジャカルタ国立博物館 Museum Pusat Nasional】
インドネシアの文化遺産が詰込まれた博物館。ムルデカ広場西側に位置するインドネシア随一の博物館。幅広い時代の陶磁器、各地の芸能道具や家屋の模型、中庭にはジャワ島ヒンドゥー時代の石像があり、ジャワ原人の頭蓋骨レプリカも展示されている。流石にインドネシアの中枢ジャカルタにある博物館、一見の価値あり。[動画サイトでの様子]
【バタビア旧市街地 Kota tua Batavia】
旧バタビアはヨーロッパの建築物とインドネシアの活力が融合する街。オランダ植民地時代に港町として栄え、政治の中心地だったバタビア。コロニアル調の建物や跳ね橋、運河など当時の名残をコタ駅周辺からスンダ・クラパ港にかけて今も見る事が出来る。港の近くでは東インド会社の倉庫を使った海洋博物館もあり、古代のボートや航海道具を見ることもできる。[動画サイトでの様子]
【ボゴール Bogor】
静けさ漂うこの街はかつてパンジャジャラン王国の中心地だった。オランダの植民地時代はジャカルタからの避暑地。大統領官邸(元東インド会社総督邸)や広大なボゴール植物園やがある。この植物園は87haに15,000種もの植物が見られる。郊外にはタマンサファリもある。(トラ・ライオン・キリン等がいる)ジャカルタの南約60km。[動画サイトでの様子]
【タマンミニ インドネシア Taman Mini Indonesia Indah】
多様な民族の住むインドネシアをミニチュアにして分りやすく見せている公園。総面積は100haを越える。インドネシアの各州を代表する民族の住居や衣装・生活様式などが紹介されている。公園中央の人口湖にはインドネシアの主な島々がかたどられている。その他、水族館・博物館・蘭園・等がある。[動画サイトでの様子]
【ナシゴレン Nasi Goreng】
ジャカルタはインドネシア代表の町なので、代表の料理・名物はやはり「ナシゴレン」。店により具等は様々。インドネシアのどの町に行っても必ず食べれる絶対的料理。それはやっぱり「ナシゴレン」。これこそ正にインドネシア人のソウルフードである。[動画サイトでの様子]
【スカルノ Soekarno】
(1901-1970)出身はスラバヤ。インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家。独立宣言後、インドネシア初代大統領となり雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した。1955年には、ジャワ島西部の都市バンドゥンにて第一回アジアアフリカ会議(バンドゥン会議)を主催し、インドやフィリピン、中華人民共和国など、第二次世界大戦後に続々と独立を果たし建国された新興国、いわゆる「第三世界」のリーダーの1人として脚光を浴び、会議を成功に導き国際社会での知名度を高めた。1965年の「9月30日事件」によって失脚した後は不遇の晩年を送ったが、いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父(建国の父)として敬意をもって愛され続けている。[動画サイトでの様子]
【日本とジャカルタ Jepang dan Jakarta】
日本軍はスラバヤ・バタビア沖海戦で勝利、占領飛行場に航空隊を進出させ制海空権を握る。日本軍は3月1日ジャワ島に4万名を上陸させ、同月10日上陸から僅か9日間で連合国は降伏。長いオランダ支配に不満が鬱積していたインドネシア人は日本軍を熱狂的に迎え入れた。今村中将率いる日本陸軍はジャカルタに第16軍司令部を置いた。日本軍敗戦後、日本兵の一部残留兵が、インドネシア人と共にオランダとの独立戦争に参加。その日本人達は死後、インドネシア国民的英雄となりジャカルタ カリバタ英雄墓地に静かに眠っている。