インフォメーション
当社ではスマラン Semarang現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るスマランを是非どうぞ。
スマランは中部ジャワの北海岸に位置する港湾都市。その昔は諸外国との貿易が盛でその影響が強く残っている。スマラン市内の行政地区には、かつてのオランダ植民地時代の建物が多く残っており、中国・アラブ民族もスマランを郷里と言い続けている。スマランウマス港は17世紀から1945年迄オランダ占領時の活動拠点であった。
スマランの旧市街は港に近くコタ・ラマとして知られており、植民地時代の建物、教会、多くの中国の宗教的建物、かつての城壁都市がそのまま残っている。中国人のイスラム教指導者が15世紀初頭にスマランを訪れ氏の栄誉として三保胴を建立した。
植民地時代オランダ人はドーム型の教会を建て、スラマラン市民からはGereja Blendukと親しまれている。そこにあるバロック様式のオルガンは当時の東南アジアでは非常に珍しい物だった。トゥグ記念碑(青年の塔)はスマランの象徴1945年,日本とインドネシアのスマラン事件(5日間戦争)を追悼するもの。その碑の彫刻には戦闘・死傷者・感情を描写しており、時にはこの碑をスマランの魂とも呼ばれる。
行政区画 | 中部ジャワ州 スマラン市 州都 |
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中核都市 | スマラン Semarang |
空港 | スマラン空港 Bandar Udara Internasional Achmad Yani, Semarang |
スマラン空港乗入れ航空会社 | GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 IL:トリガナ航空 KD:カルスター航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空 |
スマラン空港を結ぶ他空港 |
◆スマトラ地区◆ ◆西ヌサトゥンガラ地区◆ [デンパサール(バリ島) GA] [ロンボク GA] |
スマラン空港から主な地域への距離 約 | スマラン市街:12km ラワンセル:7km 三保胴:8km グレジャ ブレンドック:9km プリ マエロコチョ:3km ソロ:117km ジョグジャカルタ:140km チレボン:230km スラバヤ:360km バンドゥン:434km ジャカルタ:438km |
web site | http://semarangkota.go.id/portal/ [スマラン] https://jatengprov.go.id/ [中部ジャワ州] |
時差 | 日本より2時間遅い |
面積 中部ジャワ州 | 32,548k㎡(岩手県の2.13倍くらい) |
面積 スマラン市 | 373.7k㎡(三重県熊野市くらい) |
人口 中部ジャワ州 | 3,557万人(東京都の2.55倍くらい) |
人口 スマラン市 | 178.6万人(三重県くらい) |
宗教 スマラン市 | イスラム86.97%・プロテスタント7%・カトリック5.24%・仏教0.68%・ヒンドゥー0.08% |
町のイメージ | 外部の動画サイトによる町のイメージ |
【スマラン 観光地、史跡、郷土料理、著名人】
【ラワンセル Gedung Lawang Sewu】
スマランを代表する文化遺産。1913年オランダ統治時代建立。「1000の扉」の意味を持つ。オランダ様式で扉が一列に並ぶ景観が素晴しい。地下は旧日本軍が牢屋として使われていた。
【青年の塔 Tugu Muda】
1952年に建設された。「スマラン事件」で犠牲になった人々を追悼する蝋燭型の塔。[動画サイトの様子]
【三保胴 sam po kong (gedong batu)】
三保胴は中国人のイスラム教指導者が15世紀初頭にスマランを訪れ、氏の栄誉として建立された中国寺院。改装されたこの寺は今ではスマランの象徴となっている。[動画サイトの様子]
【グルジャ ブレンドゥッ Gereja Blenduk】
植民地時代のオランダ人が建てたドーム型の教会、スマラン市民の間ではGereja Blendukとして有名。ここにあるバロック様式のオルガンは当時の東南アジアに於いては非常に珍しい物であった。[動画サイトの様子]
【プリ マエロコチョ Puri Maerokoco】
中部ジャワ州のパビリオンやミニチュア建物を中心に州内各県の紹介をしている。ジャカルタのタマンミニインドネシアの中部ジャワ州版、日本で言うところの東部ワールドスクエアーを縮小した中部ジャワ州編[動画サイトの様子]
【ルンピア Lumpia】
スマラン料理・名物にはインドネシアを代表する名物食がある。その名は「ルンピア」。春巻きに似た食べ物で19世紀末には既に根づいていた由緒ある料理。元来は中国由来の食物ではないかと推察されている。ムスリム向けの豚肉を除いて他の食材を加えるなどして少しずつ時代や作り手により中身が変ったようである。スマラン市民のソウルフードである事は間違いない。[動画サイトの様子]
【カルティニ Raden Ajeng Kartini】
(1879-1904)スマラン出身,民族主義運動及び女性解放運動の先駆者。幼時から家庭教師によりオランダ語の教育を受け、オランダ人小学校に入学。同胞のジャワ人,特に女性の民族的自覚の向上につとめた。今では彼女を『イブ・キタ・カルティニ(我母カルティニ)』と讃えられている。その昔、インドネシア最高額紙幣10,000ルピア札の人物像はカルティニであった。[動画サイトの様子] カルティニ博物館
【スマラン事件(インドネシアでは「五日戦争」と呼ばれる)】
スマラン事件は1945年10月15日勃発。武装インドネシア青年グループ達による武器引渡しが発端の戦い。日本、インドネシア共に多くの犠牲を出した。毎年10月には日本・インドネシア関係者が集り、慰霊祭が行われている。写真はスマラン市にあるスマラン事件日本人犠牲者の「鎮魂の碑」