パレンバン

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パレンバンはかつてはスリウィジャヤ仏教徒王国の一部で古代の首都。1025年にインド南部のチョーラ朝からの海賊襲撃を受け、次第に勢力を失う。スリウィジャヤ王国の首都はやがて北方のジャンビ-マラユに移った。

1602年にはオランダ東インド会社が創立、以降インドネシアは長年に渡りオランダの植民地であった為、主要地パレンバンでは当時の洋式建築遺跡が見られる。オランダ統治時代、当地で石油資源が発見され油田開発が行われた。

パレンバン油田での1年間の産油量は当時日本の年間石油消費量を上回るほどであった、その為、大東亜戦争における蘭印作戦では日本軍の最重要攻略目標地となった。開戦後の1942年2月14日、「空の神兵」と謳われた大日本帝国陸軍の空挺部隊である第1挺進団挺進第2連隊が、オランダ軍が守備するパレンバン油田・製油所と飛行場に対し奇襲落下傘降下、これらをほぼ無傷で占領する。(パレンバン空挺作戦)。

パレンバン油田は連合軍による通商破壊で日本本土への石油輸送が困難になるまでの間、主要産油地として貴重な石油を供給し続けた。

行政区画 南スマトラ州 パレンバン市
中核都市 パレンバン Palembang
空港 パレンバン空港 Bandar Udara Internasional Sultan Mahmud Badaruddin Ⅱ, Palembang
パレンバン空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 XN:エクスプレス航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空
パレンバン空港を結ぶ他空港

◆スマトラ地区◆
[ バタム QG ] [パンカルピナン SJ IN] [バンダルランプン JT XN] [プカンバル XN] [ メダン GA]
◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA JT SJ IN ] [ ジャカルタハリム QG ID] [ジョグジャカルタ XN IN] [スラバヤ QG] [バンドゥン XN]

◆バリ島地区◆

[デンパサール GA]

パレンバン空港から主な地域への距離 約 パレンバン市街:15km アンペラ橋:16km クトベサック要塞:16km バラプテラデワ博物館:12km ケマロ島:19km ジャンビ:274km ブンクル:452km バンダルランプン:327km
web site http://kota.palembang.go.id/ [パレンバン市]
https://www.sumselprov.go.id/ [南スマトラ州]
時差 日本より2時間遅い
面積 南スマトラ州 91,592k㎡(北海道の1.17倍くらい)
面積 パレンバン市 400k㎡(福島県南相馬市くらい)
人口 南スマトラ州 839万人(大阪府よりやや少ない)
人口 パレンバン市 164万人(埼玉県新座市くらい)
宗教 パレンバン市 イスラム91.93%・プロテスタント2.87%・カトリック1.65・ヒンドゥー0.08%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【パレンバン 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【アンペラ橋 Jembatan Ampera】

アンペラ橋(1.117m Jembatan Ampera)は、ムシ河を隔てて二つの地域に分かれており頻繁に往来される為、アンペラ橋はパレンバンの人にとっては大切な交通路線。そしてアンペラ橋は日本がインドネシアに対して戦争賠償として建築した橋。麓には旧日本軍司令部本部(現インドネシア陸軍)がある。[動画サイトの様子]

【クト ベサッ要塞 Benteng Kuto Besak】

クト ベサッ要塞はムシ川の端にあり、アンペラ橋に隣接している。この要塞はパレンバンダルサラム王宮遺産の一つである。クト ベサッ要塞はヨーロッパからの攻撃を防御する目的に構築された。大東亜戦争時の旧日本軍パレンバン指令本部。今ではインドネシア軍の軍事施設。[動画サイトの様子]

【バラプトラ デワ州立博物館 Museum Balaputera Dewa】

23,395㎡の敷地にパレンバンの伝統的な建築様式を用いて建てられている。コレクションにはパセマ高原で発見された1500-2000年前のものと推察される不思議な石の彫刻があり、中でも最も有名なのがガジャ・ストーン(像の石)。更にスリウィジャヤ王国時代の遺物、パレンバンの伝統的な品々、伝統的母屋のミニチュアやスマトラ各地に生息する動物の剥製等あり、その数およそ2,000点以上に及ぶ。[動画サイトの様子]

【クマロ島 Pulau Kemaro】

クマロ島はアンペラ橋から6Km程のところに位置する中国系寺院の小島。アクセスは小舟にゆられて渡る。最も目を引くのが9階建ての塔。その他「愛の木」といわれる木があり、異国文化のプリンスとプリンセスが結ばれたと言われており、今ではそこに名前を残すと願いが成就すると言われている。[動画サイトの様子]

【ペンペッ Pempek 又は empek-empek】

パレンバン料理・名物と言えば、「ペンペッ」。魚のすり身(日本で言うところの「はんぺん」に近い)を蒸したものや茹でたもの。店によってはさらに揚げを加える。チュカ(タレ汁・甘いものや、辛いもの)を付けて食べるのが一般的。[動画サイトの様子]

【スルタン マハムッド バダルディンⅡSultan Mahmud BadaruddinⅡ】

パレンバン・ダルサラーム王国王位スルタン・マハムッド・バダルディンII(1767-1852)。即位前の名前はRaden Hasan Pangeran Ratu.先代より王位を継承し2期(1803-1813.1818-1821)引継ぐ。政権中は、幾度とイギリス・オランダと闘争した。(後の1821/7/14メンテン戦争)しかしながら、パレンバンは陥落しオランダに支配される事になりスルタン・マハムッド・バダルディンⅡと家族と共に捕まり、その後テルナテへ追放されてしまう。そして同地で逝去。現在のパレンバン国際空港や博物館にはスルタン・マハムッド・バダルディンⅡの名前が付けれている。又、インドネシア中央銀行発行紙幣通貨10,000ルピア紙幣の肖像となる。(2005年10月)[動画サイトの様子]

【パレンバンと日本 Jepang dan Palembang】

1942年「空の神兵」と謳われた大日本帝国陸軍の空挺部隊が、オランダ軍が守備するパレンバン油田・製油所と飛行場に対し奇襲落下傘降下、ほぼ無傷で占領。パレンバンはスマトラ第2の都市、蘭印最大の石油基地。石油25万トン、連合軍飛行機数機や資材を獲得。

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