ブンクル

インフォメーション

当社ではブンクル Bengkulu現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るブンクルを是非どうぞ。

スマトラ島西岸の「ブンクル(Bengkulu)州」オランダとの香料交易支配をめぐる戦争で敗れたイギリスはアンボン港、バンテン港、バタビア港から追われ、1695年その代わりにスマトラ島西岸のブンクルに交易拠点を設けた。

1824年の英蘭協定でマラッカと交換されるまでブンクルだけが英国のインドネシア地域における唯一の拠点。ブンクルのイギリス時代をしのばせる建造物に1719年に建設されたマルボロ(Marlborough)要塞がある。マルボロ要塞は最近までインドネシア軍に使用されていた。

ブンクルのもう一つの歴史では初代大統領のスカルノがオランダから流刑された場所である。当時のスカルノの住居が現在も公開されている。流刑中のスカルノはモスクの設計を行い、市内のジャミック(Djamik)モスクがその作品である。

行政区画 ブンクル州 ブンクル市
中核都市 ブンクル Bengkulu
空港 ブンクル空港 Bandar Udara Fatmawati Soekarno, 旧Bandar Udara Padangkemiling
ブンクル空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空
ブンクル空港を結ぶ他空港 ◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA JT SJ IN QG ] [ ジャカルタハリム ID]
ブンクル空港から主な地域への距離 約 ブンクル市内:13km パダン:566km ジャンビ:449km パレンバン:440km バンダルランプン:558km
web site https://www.bengkulukota.go.id/ [ブンクル市]
https://bengkuluprov.go.id/ [ブンクル州]
時差 日本より2時間遅い
面積 ブンクル州 19,788k㎡(岩手県の1.3倍くらい)
面積 ブンクル市 144.52k㎡(山梨県韮崎市くらい)
人口 ブンクル州 190.4万人(岡山県よりやや多いくらい)
人口 ブンクル市 35.9万人(和歌山県和歌山市くらい)
宗教 ブンクル イスラム95.33・プロテスタント3.29%・カトリック0.92%・仏教0.39%・ヒンドゥー0.06%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【ブンクル 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【マルボロ要塞博物館 Meseum Banteng Marlborough】

マルボロ要塞はイギリスの防御要塞としてイギリス東インド会社により建てられた。インド洋を背にブンクルに面した丘の上にあり、建物内には鉄格子の牢獄や兵舎がある。要塞最上階からはインド洋をはっきり望む事ができる。古い大砲がブンクルの町と海に向けられている。[動画サイトの様子]

【ブンクル州立博物館 Museum Bengkulu】

ブンクル州立博物館は生物学・考古学・歴史・貨幣・言語・陶磁器に関するコレクションが4,000点近く展示されている。ブンクルに現在も住む多くの先住民から得た先史時代の遺物もある。展示の中のドラッキー印刷機はインドネシア共和国紙幣を印刷するのに用いられた。[動画サイトの様子]

【スカルノ住居 Rumah Soekarno】

オランダから流刑を受けたスカルノはブンクルの家で暮らす。現在ではインドネシアの文化財となっており、一般に公開されており誰でも入れる。館内には写真所縁の品々が展示してある。当時スカルノが若い女性を追いかけまわす時に「武器」として使っていた自転車もある。[動画サイトの様子]

【ラフレシア・スマトラオオコンニャク】

ブンクルにはスマトラ島に生息するラフレシア・スマトラオオコンニャクを見る事が出来るポイントの町の一つである。近頃ではラフレシアよりスマトラオオコンニャクの方が人気が高いようだ。[動画サイトの様子]

【タフ ウダン(海老豆腐) Tahu Udang】

ブンクル料理・名物と言えばタフ ウダン。海老のしんじょう揚げに似た料理。海老をすり潰して混ぜたものや、海老をそのまま包んだものもある。丸型や平べったいものなど個性がある。店によってはタフウダンを具材に使ったスープや炒め物もある。スカルノやファトマワティさんも食べたであろうタフウダン。

【ファトマワティ スカルノ Fatmawati Soekarno】

ファトマワティ スカルノ(1923-1980) スカルノ氏の第一夫人、ブンクル出身。第一夫人ではあるが、スカルノにとっては3回目の結婚相手。スカルノの政治活動を問題視したオランダがスカルノをブンクルへ流刑にした際にブンクルで知り合い結婚。ファトマワティの名はブンクル空港に残る。長女は第5代インドネシア大統領メガワティ・プトゥリ氏。[動画サイトの様子]

【日本とブンクル Jepang dan Bengkulu】

大東亜戦争におけるスマトラの戦地としてはあまりり馴染みの薄い地ではあるが、とても重要な地域でもあった。旧日本軍の駐屯地・野戦病院があったのだ。[南スマトラ郊外第9練成飛行隊(第9飛行師団)駐留跡地]写真は「南方第9陸軍病院ベンクーレン分院跡地跡地」今では地元市民の墓地となっている。

関連記事