インフォメーション
当社ではタンジュンパンダン Tanjung Pandan現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るタンジュンパンダンを是非どうぞ。
ブリトゥン島は幾つかの王政権を経験してきた諸島。
7世紀終りにスリウィジャヤ王国の地域として記録されている。その後、マジャパヒト王国が繁栄し1365年にはブリトゥン島は王室の海砦の一つとなった。その後パレンバンのチャクラディニングラット2世によりブリトゥン島は征服される。 15世紀以降からバダウ王国が設立しバダウ王国が権力エリアを広げる。
バダウ王国の歴史ある遺物は今もバダウ博物館で見る事が出来る。第二の王国はバロック王国。王はジャワのマタラム往古の系譜を持つキアイアグス(在位1618-1661)、次にキアイアグス ムンディン ドゥパティ チャクラニングラット2.3.4世へと引き継がれ、その間の1700年頃にイスラム教がブリトゥン島へ広がり始める。
17世紀ブリトン島は交易ルートとなり商人達の寄港先となる。多くの商人は中国人とアラブ人に最も影響を受けた。ゲラールチャクラニングラット政権が9代に渡り引き継がれたが、1873年その称号はオランダ政権によって消された。バロック王の血統キアイ アグス ウンドゥックは社会的地位のあるブリトゥン島及びタンジュンパンダンの長となる。
その後、日本・オランダンの占拠を乗り越え独立し、2000年バンカ・ブリトゥン州として31番目の州として設立。近年では70年代を舞台にした映画「ラスカル プランギ(Laskar Pelangi)」がヒットしたお陰で、インドネシア人のブリトゥン島への国内旅行も増え注目されている。
行政区画 | バンカ・ブリトゥン州 ブリトゥン県 タンジュンパンダン |
---|---|
中核都市 | タンジュンパンダン Tanjungpandan |
空港 | タンジュンパンダン空港 Bandar Udara H.A.S. Hanandjoeddin |
タンジュンパンダン空港乗入れ航空会社 | GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 IN:ナムエアー航空 QG:シティリンク航空 |
タンジュンパンダン空港を結ぶ他空港 | ◆スマトラ地区◆ [タンジュンピナン JT][ バタム JT ] ◆ジャワ地区◆ [ ジャカルタ GA SJ IN QG ] |
タンジュンパンダン空港から主な地域への距離 約 | タンジュンパンダン市街:15km バダウ王国博物館:10km タンバンカオリン湖:12km ルマアダットブリトゥン:13km タンジュンティンギビーチ:30km |
web site | http://www.belitungkab.go.id/index.php [ブリトゥン県] http://babelprov.go.id/ [バンカブリトゥン州] |
時差 | 日本より2時間遅い |
面積 バンカブリトゥン州 | 18,725k㎡(岩手県の1.22倍) |
面積 ブリトゥン県 | 2,293k㎡(沖縄県くらい) |
人口 バンカブリトゥン州 | 136万人(山口県よりやや多い) |
人口 ブリトゥン県 | 17.4万人(千葉県習志野市くらい) |
宗教 ブリトゥン県 | イスラム91.7%・仏教5.6%・プロテスタント1.61%・カトリック0.6%・ヒンドゥー0.43% |
町のイメージ | 外部の動画サイトによる町のイメージ |
観光地、史跡、郷土料理、著名人
【バダウ王国博物館 Museum Badau】
バダウ王国博物館は6世紀に及ぶバダウ王国の歴史的遺産が保管されている。遺産の中にはクリス(短剣)、刀剣、ドラ、クリナン(小さいドラ)、などがあり展示品の中で最も有名なのは竹製の銛(Bamboo Spear)。数百年前のこの銛はマジャパヒト王国から伝わったとされ、ガハル(香木の一種)の木から作られたガル・ラスキは神秘な力を持つと信じられている。更にバダウ王国の遺跡はリランガン(Lilangan)山にあるバダウ王の墓にもある。[動画サイトでの様子]
【タンバン カオリン湖 Danau Tambang Kaoling】
タンバンカオリン湖は観光地としてより、ブリトゥン島で日の出を撮影する場所として写真愛好家にとっての特別なスポットとして知られる。
ユニークな白ずくめの鉱山跡の水溜りを形成しており、且つ、湖水は青く他の場所で見られない美しい景観が見れる。日出写真は太陽光衝撃により白と黄金色とが融合し湖をより美しく印象深い写真を作りだす。[動画サイトでの様子]
【ルマ アダット ブリトゥン Rumah Adat Belitung】
ルマ アダット ブリトゥンはブリトゥン島の伝統的マレー見地様式の影響が強い家屋。木製で古いスタイルを利用して作られた高床式の家で、家の中にはブリトゥン島社会文化での幾つかの芸術品やアダットの衣服や伝統結婚式装飾がみられます。[動画サイトでの様子]
【タンジュンティンギビーチ Tanjung Tinggi Beach】
タンジュンティンギビーチはブリトゥン島の美しいビーチの内の一つ。多数の大きな岩がビーチの隙間を迷路のように点在、歩いたり登ったりするだけでも楽しい。70年代を舞台にヒットした映画「ラスカル プランギ(Laskar Pelangi)」で子供達が遊ぶシーンに出てくるのがこのビーチ。[動画サイトでの様子]
【ガンガン Gangan (Sop Ikan dengan Kunyit)】
ブリトゥン島料理・名物と言えば「ガンガン」。魚の入った辛くて黄色いスープ。ブリトゥン島社会では殆ど毎日「ガンガン」を作る。材料は主に鯛系、イサキ系の魚にウコン、ナンキョウ、レモングラス、キダチ唐辛子、赤ワケギ、発酵させた海老ペースト、アッサム、塩、砂糖で調えて炊く、魚の臭みを取る為に辛めにするようだ。作る上で最も重要なのが新鮮で腹回りの太った魚を選ぶのがコツだという。[動画サイトでの様子]
【ディパ ヌサンタラ アイディット Dipa Nusantara Aidit】
ディパ ヌサンタラ アイディット(1923-1965)。ブリトゥン島出身のインドネシア共産党中央委員会議長。幼少期にはオランダ教育を受け、ブリトゥン島を離れた後、中央ジャカルタ・スネン・タナティンギに図書館を設立。その後、ビジネス学校へ入校。オランダ東インド領社会民主連合(後のインドネシア共産党)を通じてマルクス政治理論を学ぶ。政治活動の中で、やがてインドネシア政治の将来重要な役割を演じる人々(アダム マリック・スカルノ・ハッタ)と知り合う。1955年選挙でインドネシア共産党は庶民の為の政策で多くの信者と支持を獲得し実を結ぶ。インドネシア共産党はインドネシアでとても重要な大衆組織となる。[動画サイトでの様子]
【日本とブリトゥン島 Jepang dan Pulau Belitung】
大東亜戦争時、日本軍はブリトゥン島を1944年4月に占拠。日本軍は1945年初め、ブリトゥン島民に対し日本軍政権の任務を手伝う機関を設立する。しかし、日本軍のブリトゥン島占拠は長くなく、その後オランダ軍に支配権力が戻ってしまう。