当社ではバリ島の様々な車両チャーターを含めたオリジナル旅行・ツアーお手配をご案内しております。日本発着のバリ島への国際線航空券をはじめ、インドネシア国内線航空券、車両チャーターを含めた現地ツアー手配。西はギリマヌクから東はアンラプラ迄全バリ島地域をご案内致しております。
バリ島及び周辺辺境地の戦没者慰霊巡拝もご案内が可能です。日本人スタッフを含む現地スタッフも万全の体制で、全力投球でお客様の車両チャーターを含めたご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るインドネシア・バリ島を是非体感して下さい。
世界を代表するビーチリゾートの島、バリ島。西にジャワ島、東にロンボク島と一列に島が並んでいる一部。バリの海岸からジャワ島が見える程(バリ海峡の最も狭いところは3kmほどである)近い。言語はバリ語であるが、放送などは公用語はインドネシア語であり、子供達は小学校入学前からこれを学ぶ、老人などを除きインドネシア語会話に不自由がない。それどころかバリ語は敬語表現が複雑かつ厳密なため、使い慣れないランクの敬語を使わなければならない相手とは、あえてバリ語を避けてインドネシア語を使うこともあるという。宗教はヒンドゥー教が有名だが、イスラム教(回教)信者の増加が著しい。キリスト教徒もいる。
面積 バリ島 | 5,780k㎡(三重県くらい) |
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人口 バリ島 | 433万人(福岡県の85%くらい) |
面積 | 5,780k㎡(三重県くらい) |
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人口 | 433万人(福岡県の85%くらい) |
州都 | デンパサール |
宗教 | ヒンドゥー83.24%・イスラム13.3%・プロテスタント1.66%・カトリック0.88%・仏教0.54% |
民族 | バリ84.96%・バリアガ0.4%・ジャワ9.6%・マドゥーラ0.77%・マレー0.59%・ササック0.58%・東ヌサトゥンガラ系0.5%・中国0.38%・スンダ0.3%・ブギス0.24%・バタック0.17% |
言語 | インドネシア・バリ・ジャワ・ササック・マドゥラ |
都市 | デンパサール |
トゥガナン村は、バリ州カランガスム県マンギス郡の村。バリ島先住民、バリ・アガの村として知られ独自の文化、風習を今尚継承し続ける。チャンディダサの北方。経緯絣(ダブルイカット)や籐籠の制作でも有名。ここのグリンシンは日本の染色の先生も高評価している。
ジャティルイはその景観の美しさだけでなく、独自の「スバック」と呼ばれる水利システムが評価評価され、2012年ユネスコの世界文化遺産として認定されました。スバックは単なる水利組合ではなく、「神と人間、自然と人間、人間と人間の3つの調和が取れた時に真の幸福が訪れる」と言うトリヒタカラナの哲学を表現している。その一方で、村民は今迄通りの作業が継続出来るか不安な側面もある。
ルンプヤン寺院はブサキ寺院と共にバリ・ヒンドゥーを代表する寺院として人々の信仰の拠り所となっている。天空の寺院とも呼ばれ、標高約1,000mの高地に位置しており神の光やエネルギーが満ちている場所と考えられておりパワースポットとしても知られている。最近ではご来光を拝み、眺望を満喫するプランが人気。
バリ島でパワースポットが集中すると言われる町ブドゥグル高原。美しい湖、ブラタン湖(ウルン・ダヌ・ブラタン寺院)、バリ植物園(園内にある精霊が宿るガジュマルをくぐると願いが成就すると言われている。)。静寂で神秘的な空間に浸り、ゆったりした気持ちで身体も心も浄化してみては如何でしょうか。
今やすっかり若者のビーチリゾート、サヌールビーチもかつては大東亜戦争の戦地であった。日本軍の南方進出に際しては、ジャワ島攻略の足掛かりとして1942年2月19日にバリ島のオランダ軍飛行場占領が行われたが、サヌールビーチは日本軍の上陸地点に。オランダ軍の反攻による上陸地点もサヌール海岸であり、付近の海域に海戦による沈没船もあると言われている。写真は「バリ島の父」と呼ばれた三浦襄翁の墓。
バリ島タバナン県にあるマルガ英雄墓地。1946年11月20日、オランダ軍との壮絶な大戦闘により大敗したグスティ・ングラライ中佐率いる義勇軍部隊他インドネシア独立戦争で戦死した1372名を埋葬した戦没者墓地。チャンディ・マルガナラ墓苑ともいう。その中には終戦後も残留してングラライ部隊に属して戦死した12名の日本人も含まれているとされる。しかし、解明されてない部分もあると言う研究者もいる。毎年11月20日には戦死者を追悼する慰霊式が行われている。
面積は愛媛県程の5,632k㎡・人口は日本第10位の静岡県を上回る390万人。アルプス・ヒマラヤ造山帯に属する小スンダ列島の西端、大スンダ列島に属するジャワ島に接している。バリ・ヒンドゥーにおいて信仰の山とされるアグン山(3,142m)やキンタマーニ高原で知られるバトゥール山など多くの火山を有し、バトゥール山近辺には温泉も湧出している。
宗教的な活動にも多く時間を使われ毎日小さな島のどこかで祭が行われている事でも知られる。現在、観光事業を目的とジャワ人が移って来ておりイスラム教徒が増えている。
伝統的なバリ人はヒンドゥー教に属しバリ・ヒンドゥーと呼ばれる独特な伝統を伝えている。バリ人は非常に精神的に満足し進歩した人々で西洋的な生活にはあまり興味を持たない。むしろ物質文明・近代文明のしがらみに疲れた西洋人や日本人がバリに長期滞在しバリの文化を学んで行くのを誇りにしている。
数ヵ月から数年バリに滞在する西洋人や日本人には、絵画、音楽、彫刻、ダンスなどを学び独自の芸術的な活動をしている人々が多い。踊りで有名なウブドの隣の村であるプリアタンの王族に伝わる話では、バリ人はそもそもモンゴルの付近に住んでいた民族から始まる。
高貴な白い肌をした女性と身分の低い黒い肌をした男性が恋に落ちる事から話が始まる。それは恥ずべきであった事で二人は駆け落ちする事になり、チベットの付近に暮らす事になる。そこでしばらく民族として定着した後にインド側へ山を降りて北インドに暮らす。
北インドでもまた民族として定着して暮らしていたが、やがて東南アジアに移動して、バリに来る直前はジャワ島に暮らしていたと言う。しかしジャワ島にイスラム教が入り、攻撃の手を逃れる為バリ島へ移動したのだと言う。伝説では当時ジャワ島とバリ島は陸続きだったのを陸橋を切ってバリを独立した島にしたと言う。