ニアス

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当社ではニアス島 グヌンシトリ Pulau Nias現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るニアス島を是非どうぞ。

スマトラ島から140km西方の海上に位置する北スマトラ州(Propinsi Sumatra Utara)最大の島。スマトラ島最大の都市メダンから飛行機で1時間。北部のニアス県には島の中心県都グヌン・シトリ(Gunungsitoli)があり、ビナカ空港から車で数十分北上したところ。

島唯一の国立病院(グヌンシトリ病院)もグヌン・シトリ市街地の中。南部の南ニアス県には、港湾やビーチリゾート(ソラケ Sorake)を擁する県都テルク・ダラム(Teluk Dalam)がある。ニアス島について記載が初めて現れるのは815年のアラビア語文献であるといわれている。

その後、1193年エドリシ(Edrisi)による民族誌的な記述がある。17世紀にはいるとスマトラ島からイスラム教が伝えられ、改宗が行われた。17-18世紀ごろ、オランダ植民地や伝道師たちによって、ニアスの事情が植民地本国に伝えられるようになる。

19世紀後半に布教の始まったプロテスタントは、ニアス語聖書の作成などの成果をあげながら、1910-40年までにプロテスタントへの入信が急速に拡大。

スハルト政権後、地方分権化法の施行により県の権限が増大されると、各地で県の増設が行われたが、ニアス島でも2003年に、北・南部の二県に行政区分が行われた。更に、制限を受けていたローカルNGOの活動も行われるようになった。近年のニアス島は災害に悩まされてきた。2001年、過剰な森林開発が原因と見られる洪水、地すべりにより多数の死者が出る被害があり、2004年12月26日には、スマトラ沖地震、2005年3月28日のニアス島近海での地震において甚大な被害を受けた。サーファーにも人気の島。

行政区画 北スマトラ州 ニアス県・南ニアス県
中核都市 グヌンシトリ Gunung sitori
空港 グヌンシトリ空港 Bandar Udara Binaka, Gunung Sitori
グヌンシトリ空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 JT:ライオン航空
グヌンシトリ空港を結ぶ他空港 ◆スマトラ地区◆ [ メダン GA JT]
グヌンシトリ空港から主な地域への距離 約 グヌンシトリ市街:22km ソラケビーチ:103km
web site http://niaskab.go.id/ [ニアス県]
http://www.niasselatankab.go.id/ [南ニアス県]
http://www.sumutprov.go.id/ [北スマトラ州]
時差 日本より2時間遅い
面積 ニアス島 4,771k㎡(和歌山県よりやや広い)
面積 グヌンシトリ市 284k㎡(茨城県つくば市くらい)
人口 ニアス島 102万人(富山県よりやや少ない)
人口 グヌンシトリ市 13.9万人(茨城県古河市くらい)
宗教 ニアス プロテスタント78.09%・イスラム13.34%・カトリック8.35%・仏教0.22%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【ニアス島 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【ストーンジャンプ Fahombe/Tradisi Lompat Batu】

日本で言うところの成人式の祭礼として行う行事。今では観光客や訪問者に勇敢な姿を紹介する事が多い。50cm程の踏み切り岩をステップにして2m程の岩を飛ぶ。その姿はインドネシア1,000ルピアの肖像に採用され、ニアス島のシンボルとなっている。[動画サイトの様子]

【ソラケ Sorake】

ニアス島を有名にしたのはソラケ(Sorak)のビーチ。日本のサーファーも近年多く訪れるようになった。素人目からでもその波の気迫は凄い。日本では中々お目に掛かれないスケールだ。[動画サイトの様子]

【ニアス遺物博物館 Museum Pusaka Nias】

ニアス遺物博物館はグヌンシトリに点在。ニアス島伝統家屋が建てられており、展示品は楽器や民家の模型がある。ニアス島は現在も伝統的な民家に暮らす人が多い。又、その建築技術が今も継承されている。[動画サイトの様子]

【ゴドゴド Godo Godo】

ニアス島料理・名物と言えば色々ありますが本編では「ゴドゴド」。
おろして形を丸く整えた芋を茹でてココ椰子の胚乳部分をおろしたものをまぶしたもの。店によっては揚げたり煮たりもする。

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