プカンバル

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当社ではプカンバル Pekangbaru現地に於ける、航空券・ホテル手配・車両チャーターを含んだ地上手配・現地ツアーから視察訪問、表敬訪問、慰霊巡拝、歴史探索等々、あらゆるオリジナル手配を手掛けております。現地スタッフも万全の体制で、そして全力投球でお客様の車両チャーターを含んだ地上手配、ご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るプカンバルを是非どうぞ。

プカンバルは、その昔は畑の地が徐々に村落になる。当時のタティン族と呼ばれた指導者の一人のリーダーの名前スナプラン(Senapelan)の名で知られていた。

スナプランは、シアック川河口岸に位置するパユン スカキ(Payung Sekaki)村が発展された新しい集落。スナプランの発展にはアブドゥル ジャリ アラムディン シャ王宮が宮殿(現在のモスク周辺)を建立し、定住した事が関係していた。

アブドゥル ジャリ アラムディン シャ王宮はスナプランに市場作りを牽引し街づくりをした。
開発努力は、その後息子のラジャ ムダ ムハマッド アリが、港付近にて継続。1784年4民族(プシシール・リマプル・タナダタール・カンパール)の協議会を発足し、スナプラン地名を改め名前をPEKAN BAHARUに変更した。日常生活において呼び名変化してゆきPEKANBARUと呼ばれるようになり、現在に至る。

行政区画 アチェ州 州都
中核都市 バンダアチェ Banda Aceh
空港 プカンバル空港 Bandar Udara Internasional Sultan Syarif Kasim Ⅱ, Pekanbaru
プカンバル空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 XN:エクスプレス航空 QG:シティリンク航空 ID:バティック航空
プカンバル空港を結ぶ他空港 ◆スマトラ地区◆
[ジャンビ JT] [タンジュンピナン XN] [ バタム JT SJ QG] [パレンバン XN] [バンダルランプン XN] [ メダン JT SJ]
◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA JT SJ ID] [ ジャカルタハリム ID] [ジョグジャカルタ QG] [スラバヤ JT]
プカンバル空港から主な地域への距離 約 プカンバル市街:6km プカンバルモスク:10km リンブンガン湖:17km バワ市場:10km パダン:310km ジャンビ:447km
web site http://www.pekanbaru.go.id/depan/ [プカンバル]
https://www.riau.go.id/home/ [リアウ州]
時差 日本より2時間遅い
面積 リアウ州 87,023k㎡(北海道の1.1倍くらい)
面積 プカンバル市 632.26k㎡(高知県四万十市くらい)
人口 リアウ州 665万人(千葉県の1.06倍くらい)
人口 プカンバル市 109.3万人(宮城県仙台市くらい)
宗教 プカンバル イスラム82.65%・プロテスタント10.39%・カトリック3.82%・仏教2.74%・ヒンドゥー0.4%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

【プカンバル 観光地、史跡、郷土料理、著名人】

【プラカンバルモスク Mesjid Raya Pekanbaru】

プカンバルモスクは18世紀に立てられたプカンバル最古の伝統建築モスクである。プカンバルモスクはかつてのシアック スリ インドラプラ(Siak Sri Indrapura)王室の王位の証であった。又、このモスクは王族の墓でもある。[動画サイトの様子]

【リンブンガン湖 Danau Limbungan】

灌漑目的に作られたダムが景観や娯楽として観光客に支持され、観光地として開発された。今ではリンブンガン湖では水上バイク・ボート娯楽から、レストラン・コテージまで装備されている。モトクロスレース場もある。プカンバル市内より約10km。

【バワ市場 Pasar Bawah】

バワ市場は食料品から日用品・生活雑貨に至るまでパサール内を所狭しと店が陳列している。デパートとまではいかないが概ねその役割を果している。プカンバル庶民のコミュニティーの場でもある。又、町の中心にショッピングセンターもあり、若者にはこちらが人気のようだ。[動画サイトの様子]

【リアウ州立サンリアウタマ博物館 Meseum Sang Nila Utama】

名称は13世紀ビンタン王の名。リアウ州に関するあらゆ情報・文化をミニチュアで得る事が出来る。館内には地質、生物、民族、歴史、言語、陶磁器、芸術などの収蔵品が約4,000点以上展示されている。[動画サイトの様子]

【ルンプック ドゥリアン(ドリアン羊羹) Lempuk Durian】

プカンバル料理・名物と言えば「ソト プカンバル」(Soto Pekanbaru)・「アサム プダス イカン ブアン」(Asam Pedas Ikan Baung)とありますが、本編ではルンブック ドゥリアン。はまる人ははまる、賛否両論はあるようですが、折角の地元名産のなので機会があれば是非ご賞味あれ。食べる場所にはご注意を!

【トゥアンク タンブサイ Tuanku Tambusai】

トゥアンク タンブサイ(1784-1882)はリアウ・ロカン フル出身の司教。バタック族の地にてイスラム化社会の闘争を抑えたり、各地域を取り纏めてオランダ軍との抗争した。一時はオランダ軍から和解をを持ちかけられるも断固拒否。不屈の姿勢を示す。やがてオランダの手に落ち脱出、マレーシアのヌグリ スンビランにて死去。98歳の長寿を全うする。トゥアンク タンブサイの功績を讃え1995年インドネシア国民的英雄とされる。[動画サイトの様子]

【日本とプカンバル Jepang dan Pekangbaru】

日本のスマトラ占領に於ける巨大プロジェクト第二の泰緬鉄道と呼ばれたスマトラ横断鉄道のマラッカ海峡側の始発地点がプカンバル。インド洋側との物資、兵員輸送を目的としたものだ。測量開始から僅か2年半の期間で完成させるが皮肉なことに全線完成したのは1945年8月15日、日本が連合軍に無条件降伏した日であった。故に「幻のスマトラ横断鉄道」と呼ばれる。

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