バンダアチェ

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アチェはスマトラ島最北端に位置し東南アジアで最もイスラムを受容した地域である。アチェ王国の時代からイスラム教学の拠点とした歴史があり、インドネシアの中でもイスラム信仰が強い地域である。

古来より外部の支配者に対する激しい抵抗で知られており、オランダ軍とは長いアチェ戦争を戦い、現在のインドネシア政府に対しても自由アチェ運動が独立を要求して長い内戦状態にあったが、2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による大津波でアチェが壊滅的な被害を受けたことを機に休戦。

2005年8月15日に政府との間で和平協定が結ばれた。その後、独立放棄と武装解除に応じインドネシアの「州」であることに同意。1976年以来29年間続いた独立運動は事実上終結した。2009年4月の州知事令で正式名称が「アチェ州」に改められた。

行政区画 アチェ州 州都
中核都市 バンダアチェ Banda Aceh
空港 バンダアチェ空港 Bandar Udara Internasional Sultan Iskandar Muda
バンダアチェ空港乗入れ航空会社 GA:ガルーダインドネシア航空 SJ:スリウィジャヤ航空 JT:ライオン航空 ID:バティック航空
バンダアチェ空港を結ぶ他空港 ◆スマトラ地区◆
[ バタム JT ] [ メダン GA JT SJ]
◆ジャワ地区◆
[ ジャカルタ GA JT ] [ ジャカルタハリム ID]
バンダアチェ空港から主な地域への距離 約 バンダアチェ市街:11km アチェ博物館:18km メダン:426km シボルガ:527km
web site http://www.bandaacehkota.go.id/ [バンダアチェ]
https://acehprov.go.id/ [アチェ州]
時差 日本より2時間遅い
面積 アチェ州 57,956k㎡(北海道の73%くらい)
面積 バンダアチェ 61.36k㎡(千葉県松戸市くらい)
人口 アチェ州 528万人(北海道くらい)
人口 バンダアチェ 22.6万人(埼玉県上尾市くらい)
宗教 バンダアチェ イスラム98.2%・プロテスタント0.3%・カトリック0.2%・ヒンドゥー0.02%・仏教1.2%
町のイメージ 外部の動画サイトによる町のイメージ

観光地、史跡、郷土料理、著名人

バイトゥラマン グランド モスク Mesjid Raya Baiturrahman

バイトゥラマングランドモスクはバンダアチェの中心に位置し、アチェ人の勇気と誇りを示すアチェナショナリズムのシンボル。オランダ軍との戦争時このモスクははアチェの防衛本部であった。9,000名の参拝者を収容でき、インドネシアで最も美しいモスクの一つといわれている。[動画サイトの様子]

タマンサリ グノンガン Taman Sari Gunongan

15世紀末、港市国家として発展したアチェは17世紀初頭スルタンを中心とする集権体制を確立し、全盛期を迎え建立としたのがタマンサリ グノンガン。当時のプトゥリ バハン妃の為に建立されたと言われる。1995年ユネスコ世界遺産暫定リストに登録されている。2004年の津波が到達したが、大きな損害はなかった。[動画サイトの様子]

アチェ州立博物館 Museum Negeri Acek

この博物館は元々1914年アチェ人の家として展示する為スマランに建設されたものを1915年オランダ政庁アチェ知事が博物館としてアチェに移築。ここではインドネシアでアチェの王として知られるスルタン・イスカンダール・ムダを含む歴代の王たちの墓を見る事が出来る。[動画サイトの様子]

アチェ 津波博物館 Aceh Tsunami Museum

2004年12月26日のスマトラ沖地震による大津波で約16万人超の犠牲となった最大の被災地のアチェ州で、「津波学習・観光」として建設された津波博物館。バイトゥラマングランドモスク隣の公園脇にある。外観は船を模していると言われている。1階に池があり2-4階が展示室。[動画サイトの様子]

ミー・アチェ(アチェ麺) Mie Aceh

アチェ料理・名物といえば、多くのインドネシア人に支持されている人気の「ミー・アチェ(アチェ麺)」アチェ風の焼きそばだ。店によってラーメンのように汁に浸っているものもある。少々ピリッとするところが後を引く、具材は色々、人気は魚介類。あまり知られていないがアチェコーヒーも名産である。[動画サイトの様子]
その他インドネシアご当地料理はこちらからどうぞ

スルタン イスカンダール ムダ Sultan Iskandar Muda

スルタン イスカンダル・ムダ(1583-1636)はアチェ王国第12代国王。マレー半島のスズ生産地パハンを含むスマトラ島の大部分を制圧。1629年のマラッカへの遠征においてポルトガルとジョホール王国によりアチェ側の艦艇は全滅させられ1万9千人が捕虜となった。しかし、アチェ陸軍は敗北せず、数年足らずで多くの住民を捕虜にしてアチェへ連れ帰った。現在アチェ空港にもこの名が使われている。[動画サイトの様子]

サバン島(ウェ島) Sabang Pelau Weh

インドネシアの広さを表現する時によく使われるのが「サバン(最西端)からメラウケ(最東端)」という言葉。このサバンはインドネシア最西端のゼロ地帯となっている。1944年4月に英・米軍艦載機によってサバンの日本軍施設、油田施設攻撃を行ったコックピット作戦に大敗した島であり、その面影は今でも残る。アチェ王国当時は流刑の島であった。アチェからはフェリーで2時間程。

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