スラウェシ島

当社ではスラウェシ島の様々な車両チャーターを含めたオリジナル旅行・ツアーお手配をご案内しております。日本発着のスラウェシ島への国際線航空券をはじめ、インドネシア国内線航空券、車両チャーターを含めた現地ツアー手配。北はマナドから南はマカッサル迄全スラウェシ地域をご案内致しております。

スラウェシ島及び周辺辺境地の戦没者慰霊巡拝もご案内が可能です。日本人スタッフを含む現地スタッフも万全の体制で、全力投球でお客様の車両チャーターを含めたご旅行をサポート致します。まだまだ新しい何かを発見出来るインドネシア・スラウェシ島を是非体感して下さい。

インドネシア共和国の地図上に於いてほぼ中央に位置し“K”の字の形で横たわるスラウエシ島(旧セレベス)。スラウェシ島は多様性での調和を国是とするインドネシア共和国の中でも地質学はもとより生物、民族学の分野で最も変化に富み世界でも特異な注目を集める島。 面積17万4600平方キロメートルは世界第11位で日本本州の75.6%、日本の全領土の46.2%に値する土地を有しインドネシアでは第4位の大きさである。

面積 スラウェシ島180,681k㎡(北海道の2.3倍 世界11位の島)
人口 スラウェシ島1,845万人(東京都の1.32倍)

スラウェシ島の州

北スラウェシ州

面積13.851k㎡(福島県くらい)
人口277万人(広島県よりやや少ない)
州都マナド
宗教プロテスタント61.45%・イスラム31.65%・カトリック5.81%・ヒンドゥー0.93%・仏教0.11%・儒教0.05%
民族ミナハサ43.2%・サンギール22.8%・モンゴンドウ17.4%・ゴロンタロ7.5%・中国3%・他6%
言語インドネシア・カイディパン・マナド・モンゴンドウ・ポノサカン・サンギール・タラウド・トンブル・トンサワン・トンセア・トンテンボアン
都市タウナ・マナド・メロングアネ

西スラウェシ州

面積16.787k㎡(岩手県の1.1倍くらい)
人口135万人(山口県くらい)
州都マムジュ
宗教イスラム79.86%・プロテスタント15.96%・ヒンドゥー1.5%・カトリック1.45%・仏教0.02%・他1.21%
民族マンダール49.15%・トラジャ13.95・ブギス10.79%・ジャワ5.38%・マカッサル1.59%・他19.15%
言語インドネシア・マンダール・ブギス・トラジャ・ママサ・マレー
都市ポレワリ・マムジュ

中部スラウェシ州

面積61,842k㎡(岩手県の4倍くらい)
人口305万人(茨城県の1.06倍くらい)
州都パル
宗教イスラム76.37%・プロテスタント16.58%・ヒンドゥー4.45%・カトリック1.85%・仏教0.74%
民族中部スラウェシ62.2%・ブギス15.62%・ジャワ8.43%・バリ4.41・ゴロンタロ4.01%・ミナハサ1.16%・ササック0.78%・中国0.47%・他2.92%
言語インドネシア・カイリ・バレエ・パモナ・モリ・バンガイ・サルアン・バランタック・ブギス
都市トリトリ・パル・ブオル・ポソ・ルウック

南東スラウェシ州

面積38,140k㎡(北海道の半分くらい)
人口270.4万人(大阪府大阪市くらい)
州都クンダリ
宗教イスラム95%・ヒンドゥー2.04%・プロテスタント1.84%・カトリック0.58%・仏教0.04%・他0.27%
民族トラキ36%・ブトン26%・ムナ19%・モロネネ10%・ワウォニイ9%・他10%
言語インドネシア・トラキ・モロネネ・チアチア・ウォリオ・ムナ・クリスス・バジョ・ワカトビ・チュランバチュ
都市クンダリ・バウバウ・ワンギワンギ

南スラウェシ州

面積45,764k㎡(岩手県の3倍くらい)
人口885万人(大阪府くらい)
州都マカッサル
宗教イスラム88.34%・プロテスタント8.12%・カトリック2.25%・ヒンドゥー1.02%・仏教0.25%・儒教0.04%
民族ブギス41.9%・マカッサル25.43%・トラジャ9.02%・マンダール6.1%
言語インドネシア・ブギス・マカッサル・トラジャ・マンダール・ルウ・ドゥリ
都市タナトラジャ・パレパレ・パロポ・マカッサール

ゴロンタロ州

面積12,435k㎡(新潟県くらい)
人口116.6万人(広島県広島市よりやや少ない)
州都ゴロンタロ市
宗教イスラム97.38%・プロテスタント1.94%・ヒンドゥー0.37%・カトリック0.22%・仏教0.08%・儒教0.01%
民族ゴロンタロ90%・スワワ・ボランゴ・アティンゴラ・モンゴンドウ
言語インドネシア・ゴロンタロ・アティンゴラ・マレー・モンゴンドウ・スワワ
都市ゴロンタロ

スラウェシ島及び周辺の主な都市

タンココ森林公園 Tangkoko Batuangus

スラウェシ島 タンココ森林公園 Tangkoko Batuangus

マナドよりおよそ60km(車で約2時間)。タルシウス(スラウェシメガネ猿)を始めとするバビルサ(豚鹿)、始祖牛アノア、アカコブサイチョウ(スラウェシホーンビル)、マレオ(セレベスツカツクリ)はスラウェシ島とその属島の固有種で、この保護区に生息している。タルシウスは夜行性の動物なので訪れる時間に気を付けたい。

タナトラジャ Tana Toraja

スラウェシ島 タナトラジャ Tana Toraja

タナトラジャはインドネシア秘境の一つ。スラウェシ島のほぼ中央に位置する屈指の景勝地。現在でもトラジャ族が先祖を崇拝する伝統芸式を行っている。又、船をモチーフにした屋根を乗せた伝統的な家屋「トンコナン」も特徴的。コーヒーの産地でキーコーヒーのブランドでも有名。

パオテレ港 Pelabuhan Paotere

スラウェシ島 パオテレ港 Pelabuhan Paotere

16世紀マカッサルはインドネシアを代表する貿易港の一つであった。当時の自由貿易政策のお蔭で香辛料貿易に欧州、アラブの活動拠点として栄えた。今はコンテナの大型船が主流だが、北側には伝統的な木造船PINISI・LAMBOも多く見られ、その独特なデザインを楽しむ事が出来る。

ロッテルダム要塞 Benteng Ujung Pandang

スラウェシ島 ロッテルダム要塞 Benteng Ujung Pandang

「Fort Rotterdam」の名称が一般的になったロッテルダム要塞。ベンテン・ウジュン・パンダンは1545年、ゴアの国王によって建造。かつては海に面した要塞都市であった。上空から見たその姿は亀の様な形をしている事で市民からは「亀要塞」とも表現される。1667年オランダに攻め込まれた際に破壊され、その後オランダ植民地時代に再建されFort Rotterdamの名称になった。

マカッサール郊外 Pinggiran Makassar

スラウェシ島 マカッサール郊外 Pinggiran Makassar

有志方々による南スラウェシ・マカッサール地区日本軍戦没者慰霊巡拝手配を実施。マカッサール市内の港では多くの日本人が沈没死されたであろう沖合に向けて参拝を行いました。

スラウェシ島 インフォメーション

概要

その昔創世の時、神が人間に「それぞれの岬の方向に散りそれぞれの国を造れ」と命じ今の世になったという昔噺がある。スラウエシの活発な地殻変動がこの様な特徴ある島を形造っている。安定している隣のカリマンタン島とは極端な異なりがあり赤道が島の北を横切り、ランテマリオ(3455 m)、ラテイモジョンなど3千米級四峰を始め殆どが活火山を含む山岳地帯、東のトミニ湾は過去の大噴火で出来た湾、1983年湾内の小島ウナウナが爆発し消滅。

自然は複雑多様で深いトウテイ湖 広いポソ湖 雨季に大きく面積を変える浅いテンペ リンボト湖、年間雨量もランテパオで4000 mm 山を越えたパルでは500 mmと大きな差があり火山地帯には各所に温泉が吹出す一方、広大な熱帯多雨林、アルンアルン乾燥草原、石灰岩カルスト地帯、珊瑚礁、マングロープスワンプとまるで地質学の博物館の様相。

地理

形態は 蜘蛛又はK文字とそっくりで北から南へ伸び、北東・東・南東3つの半島が伸びる。スラウェシ島は西にカリマンタン島、北にフィリピン、南にフローレス島、東にマルク諸島に囲まれてる。3,000m級の山が幾つかある。

語源

スラウェシの名は中部スラウェシ地区の南スラウェシ州・ルゥ ティムール県ソロウォコ市のマタノ湖周辺に存在する鉱山生産物の鉄鉱石交易から、島を意味するsulaの言葉と鉄を意味するmesiの言葉からの起源と考えられている。一方で14-15世紀頃に初めて来た外国人であるポルトガル人がスラウェシ島を全体的にセレベス(Celebes)の名を使用した。

大都市

スラウェシ島大都市10傑(人口の多い順):1:マカッサル(南スラウェシ州) 2:マナド(北スラウェシ州) 3:ビトゥン(北スラウェシ州)4:パル(中部スラウェシ州) 5:クンダリ(南東スラウェシ州) 6:ゴロンタロ(ゴロンタロ州)7:パロポ(南スラウェシ州) 8:バウバウ(南東スラウェシ州) 9:パレパレ(南スラウェシ州) 10:コタモバグ(北スラウェシ州)

文化

ブギス族の文化で最も知られているのはKapal Pinisi(伝統的な帆船)。Kapal Pinisiは 昔の交通手段であり荷物船。風力を原動力として利用した帆船である。14世紀より存在が確認されており現在でもKapal Pinisiはその存在を世界に認められている。

現在、Kapal Pinisiは遠征用や豪華遊覧船として利用されているがスラウェシ社会では日々の運搬船としてこの船の利用がまだある。現在も南スラウェシ州ブルクンバ県にて船の制作現場を見る事が出来る。

トラジャ民族は山地・高知に居住する中国出身を祖先とする住民として知られ多岐にわたる文化を有し現在も継承されている。トラジャで最も有名文化がトラジャ伝統家屋「トンコナン」。この伝統家屋トンコナンはトラジャ族の精神シンボルであり様々な祭礼が催される。

マカッサル・Kota Makassar

旧名はウジュン・パンダン(Ujung Pandang)。面積は香川県より少し小さい175.77k㎡・スラウェシ島の南部に位置、南スラウェシ州の州都。ゴワ=タッロ(マカッサル)王国時代の17世紀前半から後半にかけては、交易中継港として大いに栄えた。

人口は宮崎県程の約140万人インドネシア7番目の多さ。東インドネシア地域の中心的な都市でもある。元々、都市の名前はマカッサルであるが、1971年にウジュン・パンダンに改名され、1999年に元の名前に戻された。

マナド・Manado

世界中のダイバーたちの憧れの地。世界最大級のドロップ・オン、魚の群れの濃さ、バラエティーに富むポイント等で有名。シュノーケリングでも色鮮やかな熱帯魚と海面かで揺らめく光を見る事ができ海だけでなく陸の方もマナドの近郊には雄大な風景や珍しい動物などを楽しめるところが多い。

インドネシアでは「マナド人」という言葉を使う事がありこの周辺に住む多くの民族を総称して使う。「ミナハサ人」とすると範囲は狭まりマナドの町とその近郊に住む7民族を意味する。7民族を統合する必要のあった時代に出来た言葉で「ひとつ」という意味を持っている。 さまざまな民族の文化や言語についても興味深い。ミナハサ人はモンゴルに起源があるとの伝説があり日本人の起源地もモンゴルとの説があるので起源地が同じだった可能性がある。

優良な港があり香辛料が豊富に採れる事で早くからオランダの植民地になった。 その為、オランダ人や中国人など他民族との混血が多く目が大きく色白な美人が多い地としてインドネシアでは知られている。問題をみつけてはアジア人のように集団化し西洋人のようにガミガミ怒るということでも有名。

こちらが普通にしていると、微笑みをもって礼儀正しく接してくれる人が多い。現地ではManadoと表記しマナドと読むが、インドネシアではMenadoと表記する事が多く、読みはマナドとメナドが半々位になっている。

歴史

13世紀、貴重な交易品及び鉄の鉱物資源がスラウェシの古い文化習慣を変化させた。これは、より大きな政治基礎を設立する個人の野心を可能にし、1400年代、南スラウェシ州マロス県チュンラナ市渓谷の西エリア、南海岸地区及びパレパレ近辺の東海岸地区に幾多の新たな農業王国が現れた。

スラウェシ島へ最初に訪れた欧州人は1525年マルクから金を探す為に送られたポルトガルの船(当時は諸島の国と信じられていた)。オランダが到着したのは1605年。そしてイギリスが続きマカッサルに工場を設立する。

1660年よりオランダは主に西海岸に権力を持つゴア王国に対して戦争を始める。ボネ王国支配者のArung Palakkaの支援を受け勝利する。1669年、Speelman提督は強引に支配者になりスルタンハサヌディンに貿易権を蘭印会社へ引渡すブンガヤ条約に調印させる。

オランダはウジュンパンダンに要塞を設立する一方で、Arung Palakkaはボネ王国と地域の支配者になる。政治と文化の発展は現状維持姿勢の為遅れている様に見える。1905年、全スラウェシ島は蘭領東印度のオランダ植民地の一部になる。(日本が大東亜戦争で上陸する迄)インドネシア改革時オランダのトルコ人大尉Westerlingが南スラウェシにて少なくとも4000名を殺害する。主権を引渡し後の1949年12月、スラウェシはインドネシア合衆国の一部になる。1950年、インドネシア共和国に合流支援となる。

インドネシア独立時、スラウェシは知事配下自治政府を形成し州としての位置を得、スラウェシ州は首都をマカッサルに置きサム・ラトゥランギを初代州知事として迎え州行政システムの形成は更なる開発のパイオニアになる。その当時のスラウェシは東インドネシア国に所在していたが、その後、東インドネシア国はインドネシア共和国連盟になる。インドネシア統一の共和国に合流し、州として統一されスラウェシ州の位置は1960年迄続く。

歴代スラウェシ州知事
Dr. Gerungan Saul Samuel Jacob Ratulangi (1945 - 1949)・Bernard Wilhelm Lapian (1949 - 1951)・Raden Sudiro (1951 - 1953)・Andi Burhanuddin (1953)・Lanto Daeng Pasewang (1953 - 1956)・Andi Pangerang Pettarani (1956 - 1960)

1960年より南・東南スラウェシと中部・北スラウェシ二つの行政区画に分けられた。1964年、中部・北スラウェシ行政が中部スラウェシと北スラウェシの二つ別れ行政の区画を形成された。南・南東スラウェシは南東スラウェシと南スラウェシも二つに分かれ行政区画に形成された。1999年、各4地区の行政区画の呼称を州へ変換。地方自治体の改革時代に入り2000年にゴロンタロ州、2004年に西スラウェシ州が形成された。

行政

スラウェシでの行政は南スラウェシ・北スラウェシ・中部スラウェシ・ゴロンタロ・南東スイラウェシ・西スラウェシの6つの州に別けられた。最大の州は中部スラウェシ州で68,033平方キロの広さを持ち、海域は東側の半島、北側の半島の一部、トミニ湾のテグアン諸島、トロ湾内バンガイ諸島の島々を含む189,480平方キロを有する。内陸部の大部分は山が42.8%が海域500mの高さを超える。中部スラウェシ州最高峰はカトパサ山は2,835m。

ブギス族

ブギス族はスラウェシ島で支配的な民族でスラウェシ島のどの地でもブギス族が活動している。ブギス族の大多数は商人でありスラウェシ島の市場は概ねブギス族によって掌握されている。ブギス族は宗教的であり自尊心と尊厳の高さをとても尊ぶ民族である。

インドネシアの島々